「許し」のプロセスにおける「感情的理解」。
その理解が進むと、受けとれる愛の総量が増えるという、大きな恩恵を私たちに与えてくれます。
1.「許し」の過程における「感情的理解」
昨日の記事では、「許し」の大きな恩恵と、そこに至るプロセスをお伝えしました。
「許し」に至るプロセスと、「感情的理解」とは何か。 - 大嵜直人のブログ
「許し」に至るためには、まず溜め込んでいる自分の感情を解放することが第一歩。
いわば、自分の心にスペースをつくるわけです。
そうすることで、いままでその溜め込んでいた感情を抑え込むことや、感じることを禁じることに向いていた意識が、別の方向を向くことができます。
自分のことで手一杯だったのが、周りの人の状況や立場、その人の感情といったものに目を向けることができるようになるわけです。
そうすると芽生えるのが、「感情的理解」でした。
これは、その相手の立場や置かれた状況、そしてその人の感情を想像し、自分だったら?と考えてみることを指します。
もちろん、完全にその人の立場や感情を理解することはできません。
その人の悲しみや、その人の置かれた立場の重み、そういったものが完全に理解できるわけではありません。
けれども、「もしも、自分が同じ状況だったら、自分もまた同じことをしてしまうかもしれない」という想像を働かせることはできるわけです。
これが、「許し」のプロセスにおける肝であり、非常に大切な視点です。
この「感情的理解」を持つことができると、その相手やできごとに対して、否定的にしか使えなかった気持ちがエネルギーが、少し違った方向に向けていくことができます。
「許し」というのは、実に偉大な、私たちの心の働きといえます。
2.「感情的理解」をするほどに、主体的に生きられる
さて、この「感情的理解」が進むと、「許し」も進みます。
その相手やできごとに、恨みつらみを持ち続けるよりも、「そうするほかなかったんだな」と、主体的に受け入れることができるようになります。
この「主体的に」受け入れる、というのが実に大切なようです。
「許し」のない状態では、「だって、あんなことが起こったんだから、幸せになれるはずない」とか、「あの人がすべて悪い、そのせいで私の人生はおかしくなった」といった態度を取ることができます。
それは言ってみれば、相手やそのできごとに、自分の人生の舵を預けてしまっている状態です。
しかし、「感情的理解」が進むと、その舵を自分自身に取り戻すことができます。
「じゃあ、私はどう生きようか」という方向に、エネルギーが向いていくわけです。
それが、「感情的理解」、ひいては「許し」の大きな恩恵なのですが、「感情的理解」にはもう一つ、大きな恩恵があります。
それは、受けとれる愛の総量が増える、ということです。
3.あれも愛、これも愛。
「感情的理解」が進むということは、いろんな相手の立場や態度、状況を想像することができるようになります。
そうすると、それまでは「自分を傷つけるようなできごと」に感じていたことが、自分に向けられた愛だったのかもしれない、と感じることができるようになります。
いわば、受けとれる愛の総量が増えるわけです。
同じようなできごとがあっても、そこから受けとれる愛が、ものすごく大きくなるわけです。
自分がたくさん愛されていたことに、気づくようになる、とも言えます。
当然ならば、愛を受けとれる総量が多い方が、生きやすいわけです。
「あの時、あの人はあんな態度を取ったけれど、もしかしたら、私を大切にしてくれていたのかもしれない」
…などと思えると、心の重荷がすっと軽くなります。
パートナーシップでもそれは起こりますし、非常によくあるのが親子関係でしょう。
子どものころ、親から言われてすごくイヤだったり、めんどくさかったり、時に傷ついたりしてしまったこと。
それが、大人になってみると、「あのとき、親は自分のことを想っていたんだな」と気づかされれることは、よくある話です。
その相手の立場や状況を想像して、その人の感情に理解を示すこと。
その「感情的理解」が進むほどに、受けとれる愛の総量は増え、私たちの生は彩りに満ちたものになっていきます。
あれも、愛。
これも、愛だったのか。
そんな風に感じることができるような、そんなカウンセリングをしていきたいと思っております。
今日は「感情的理解」が進むと、受けとれる愛の総量が増える、というテーマをお伝えしました。
今日も、ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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