何かに執着しているとき、私たちはその対象との距離が近くなりすぎています。
そんなときに有効なのが「手放し」ですが、それは愛を持ったまま、その対象との距離を空けるイメージです。
1.相手にも自分にも与える「手放し」
昨日記事では、「手放し」について少し考えてみました。
「手放す」とは、相手にも自分にも自由を与えること。 - 大嵜直人のブログ
相手をコントロールしたくなったり、あるいは執着したりするとき。
私たちの心は、何か一つのことにとわれて、ぎゅっと固くなってしまいます。
言ってみれば、選択肢の無い状態になってしまいます。
「手放し」とは、そうしたぎゅっと固くなってしまった心を、やわらかく、そっと開く行為といえます。
それは、「もういらない!」とばかりに、乱暴に捨ててしまうことではありません。
また、自分自身を犠牲にしたり、その気持ちに蓋をすることでもありません。
ぎゅーっと握っていた手をそっと開き、相手に、そして自分自身にも自由を与える心のはたらきといえます。
2.相手との距離が近すぎる執着
何かに執着しているとき。
私たちの心は、その対象にとわられ、その対象しか見ることができません。
執着することの最大の問題は、選択肢がなくなる、という点です。
選べないということは、人にとって苦しいものです。
どんなに魅力的な人であれ、どんなに素晴らしいものであれ、「それ以外は選べない」となると、心理的にしんどいものです。
どんなに美味しいフルコースの料理も、「毎日必ずそれを食べないといけない」となると、苦しいですよね。
まあ、もしそんなことになったら、痛風か生活習慣病になってしまいそうですが笑
何かに執着しているときは、そんな状態といえるのかもしれません。
さて、そうした執着は、その対象との心理的な距離が近すぎることが原因の一つです。
心理的に近づきすぎたがゆえに、その相手しか見えなくなってしまう。
その相手が何を考えているか知りたいし、相手がどう思っているかが気になってしまうし、四六時中その相手のことばかり考えてしまう。
執着の心理とは、そんなふうに距離を詰めすぎることが特徴といえます。
ちなみに、相手もまた同じように近づきすぎるとき、それは癒着と呼んだりもします。
執着は一人でするもので、癒着は二人一緒にするもの。
そういった違いがあります。
3.愛を持ったまま、距離を空ける
さて、そうした執着に効くのが、「手放し」です。
なにかの健康食品の宣伝のようなフレーズになってしまいましたが笑
先ほど触れたように、「手放し」とは、ぎゅっと握りしめた手を、やさしく開くようなイメージです。
それは言葉を変えると、「愛を持ったまま、距離を空ける」と言えるでしょうか。
この「愛を持ったまま」というのが、ポイントですよね。
別れた恋人に執着してしまうとき、「もう、あんな人のことは忘れてしまおう」と頭では思っても、なかなか難しかったりするものです。
むしろ、頭ではわかっていても、執着がなおさら強くなったりしてしまったりします。
ますます強くなってしまった執着に、さらに苦しくなったりするスパイラルに、陥ったことがある人も多いと思います。
「手放し」とは、そうではないんですよね。
相手のことを想う気持ち。
それを抱いたまま、距離を空ける。離れる。
そんなイメージです。
距離を空けたからといって、関係性が離れるかどうかは、分かりません。
距離が離れたことによって、見えてくるものも違ってくるでしょう。
見えてくるものが違えば、選ぶことができるようになります。
そこでまた相手を選ぶのか、それとも別の選択をするのか。
それは、手放してみた先でしか、分からないものです。
ただ、いずれにしても、相手への愛をより深く感じられるようにはなるものです。
「手放す」とは、愛を持ったまま、距離を空けるイメージ。
執着でしんどいとき、そんなイメージを持っていただけると、少し見える風景が違ってくるものです。
今日は、執着と「手放し」について、お伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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