灰色の世界、という表現がある。
こころが曇ったとき、
痛みとともにあるとき、
あるいは袋小路のようなこころの迷路に入ってしまったとき。
そんなとき、目に映る世界を表現した言葉だ。
目の前に広がっている澄んだ空が、まるでそこには存在しない。
ときが満ちて咲く花も、その人の世界にはいない。
灰色の世界とはよく言ったものだが、強いて言うならば、灰色という色自体も、存在しない世界、なのかもしれない。
痛みは、色彩と遠いところにあるようだ。
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色彩、あるいは色は、不思議だ。
それはただ単に、物体に当たった光の反射に過ぎない。
その物体が、どの色を吸収し、どの色を反射するのかという、分光反射率とやらによって、私たちが見ている色は決まる。
それなのに、なぜ、灰色の世界があるのだろう。
暖色、寒色という表現があるように、色には温度が、体温がある。
痛みがあるときは、それを感じられなくなる時なのだろうか。
もし、そうだとしたら。
丁寧に世界の色を観ることは、ある種の痛みを癒すのだろう。