「自立」の人は、愛を受けとるのが苦手であり、それゆえに強い罪悪感を抱えます。
その心理と、受けとれない「自立」の人への接し方のヒントをお伝えします。
1.「自立」と罪悪感の深い関係
ここのところ、「自立」の心理のテーマを続けております。
なんだかんだいって、やはり「自立」のテーマが多くなるのは、やはり私が「自立」大好き人間だからでしょうか…
いつも問題として扱ってますが、「自立」って、悪いことじゃないんですよ、ほんとに…と、自己弁護しておきます笑
それはともかく、「自立」の心理と罪悪感には、深い関係があります。
この心理を少し掘り下げることで、「自立」の人の理解を深める一助にしていただければと思います。
さて、「自立」的な人ほど、罪悪感が強いものです。
これは、「依存」の人が無価値感を持っていることと、対称的です。
罪悪感と無価値感は、同じものの裏表という見方もありますが、どちら側から見るか、というところなのかもしれません。
これ、「自立」の罪悪感を、ひいては「自立」の人の言動を理解するのに、非常に重要な前提になります。
はじめから「自立」している人は、いません。
誰もが「依存」を経て、「自立」にいたります。
そして、「自立」しても「依存」時代の傷や痛みは癒されていないものです。
だから、「自立」は罪悪感も強いけれど、実は同じくらい無価値感を隠している、というのが重要な視点です。
え?あんなになんでもできる、あの人が?と思われるかもしれません。
だから、なんです。
それがあるから、なんです。
その無価値感が強ければ強いほど、自分でなんでやらないと、という意識になるわけです。
「自立」の人への接し方を理解しようとするときに、この視点は前提として持っておくと、無益な葛藤を避けやすくなります。
2.「自立」の罪悪感の深淵
さて、そもそも罪悪感とは、「自分は罪を犯した、悪いことをした、汚れている、よくない存在だ」という観念を指します。
だから、自分を幸せから遠ざけようとしますし、他人とのつながりを断ちたくなります。
たとえるなら、めちゃくちゃ汚いドブ川に落ちてしまって、全身が汚臭のするヘドロだらけになってしまったようなセルフイメージ…といったら、わかりやすいでしょうか。
まあ、その状態で大好きな人に近づいたり、接したりしようとは思えないですよね。
しかも、そのヘドロが自分のせいというか、自分がつくったものだとしたら…
なおのこと、人目につかないようにするでしょうし、その状態では「あぁ、もう幸せだ」なんて思えないのでしょう。
ちょっとオーバーかもしれませんが、罪悪感を持っているって、こんな状態なんです。
もちろん、罪悪感を持っていない人はいないですし、大なり小なり、私たちはそんな観念を持っているものです。
ただ、今日のテーマの「自立」の罪悪感は、強烈なんですよね。
その根源にあるのが、「愛を受けとれない」ことからくる罪悪感です。
以前の記事で、「自立」の人の心は、ハリボテの城だ、と表現しました。
外敵を防ぐための城壁はめっちゃ立派に構えているけれど、その内側は、とっても貧弱な状態である、と。
これが、冒頭にお書きした無価値感とつながります。
「自立」の内面には、とても傷ついて見せられない弱々しい自分がいる。
だから、そのハリボテの城壁を、絶対に越えられないようにしているわけです。
もう、越えられた瞬間に、城を攻め落とされることが確定するから。
さて、その城壁を乗り越えようとするのが、「敵」ならば、それでもいいのでしょう。
けれども、その城壁の内側の人を助けようとする「味方」もまた、城壁を越えていく必要があります。
だって、呼んだって、書面をしたためたって、出てこないんですから笑
「おーい、助けにきたぞー」
「水や食料も、愛も、たんまりもってきたぞー!」
援助隊は、そう言って城壁を越えようとします。
しかし、場内にいる「自立」の王様には、それは城壁を乗り来ようとしてくる危険なヤツと、判別がつかないんですよね。
「ううむ…そういって、我々を油断させて、この城を攻め落とそうとするスパイかもしれん…」
とばかりに。
実際に、昔の戦記物では、よく使われる手ですしね笑
で、撃っちゃうんです。打ち払っちゃうんです。
助けにきてくれた味方を。
そして、「あぁ…ほんとに味方だったのか…」と気付くんです。
これが、「自立」の人が「愛を受けとれない」ことによって、最も根深い罪悪感を抱く心理です。
なんたって、善意で助けに来てくれた味方を打ち払ってしまうわけですから、罪悪感もそれはそれは、すごいのもわかりますよね。
3.「でも、どうしようもない」を理解する
これ、「自立」の側から見ると、「受けとりましょう」なんですけれども、受けとれたら苦労しません笑
そもそも、深い無価値感があって、その弱々しい自分がイヤだから、「自立」したんですから。
そのために、高い城壁を築いて、ハリボテの裏側を見られないようにしているわけですしね。
「受けとることができれば、それがいいんだけど…」
「でも、どうしようもない」
というのが、「自立」の側の心理ではないでしょうか。
そこから受けとれるようにしていくには、やはり「癒し」が必要です。
「癒し」とは、ものごとの見方、とらえ方をポジティブに変えることを指します。
先ほどのたとえにつなげるならば、城壁を越えてこようとする人たちは、敵ばかりではなくて、助けようとしてくれる人がいる、という見方に変えていくことでしょうか。
それは、すぐには難しいかもしれません。
けれども、それは必ず変えていくことができます。
さて、こうした「受けとってくれない自立の人」と、どう接するか。
まずは、こうした
「受けとりたくても、できない」
「でも、どうしようもない」
という「自立」の人の心理を、理解しようとすることでしょうか。
もちろん、100%理解することはできません。
けれども、
「この人はこれだけ傷ついてきたがゆえに、受けとれないのかもしれないな。それで、本人も苦しんでいるのかもしれない」
という見方ができると、贈った愛を受けとってもらえても、もらえなくても、どちらでもよくなるんですよね。
受けとってもらえなくても、傷つかなくなる、といいますか。
本来、愛を贈ったときに「受けとってほしい!」というのは、贈った側のエゴであり、期待です。
「自立」の人の心理を想像し、理解しようとすることで、そうしたエゴから離れて、ほんとうの意味で愛を贈ることができるようになっていくのです。
今日は、愛を受けとれない「自立」の人への接し方のヒント、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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