自分がいまいるところを知らなくては、どこへもたどり着けません。
「いまの自分を受け入れる」ことの大切さと、それが与えてくれる恩恵についてお伝えします。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.自分がいまいるところを受け入れなければ、前に進むことはできない
とても困難な状況にあるとき、その状況に抵抗して拒絶すると、そこにはまったまま動けなくなってしまいます。
逆に、そこで体験していることを受け入れたとたん、次のステップに進むことができるのです。
たとえば、強い潮の流れがぶつかりあう潮流に巻きこまれたとしましょう。
なんとかそこから泳いで抜けだそうと必死で闘えば、疲れはてて溺れてしまいます。
ところが、抵抗せずに潮流に運ばれるままにしていれば、しだいに大きな弧に揺られて、やがて激流の外側まで運ばれるでしょう。
そのときには自由にそこから泳ぎ去れるのです。
また、自分を解放するために現状を受け入れようとしているのに、前に進んでいないとしたら、あなたは現状にあわせて適応してしまったのかもしれません。
それでは犠牲や妥協の一種にしかすぎず、自分が敗北者のように感じられることでしょう。
真実ではないものに、なぜ自分をあわせるのでしょうか。
妥協しないでコミュニケーションをしてください。
適応しようとしないで解決してください。
抵抗せずに受容しましょう。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.426
2.「いまを受け入れる」ことの大切さ
今日のテーマは、「いまを受け入れる」ことでしょうか。
「自分を知る」「己を知る」ことと、非常につながるテーマでもあります。
目標との距離を測るために、現在の自分の位置を知る
何がしかの達成したい目標、あるいは叶えたい夢があるとき。
私たちはどうしても、それを達成するための手段や方法に目がいきがちです。
ダイエットで考えてみるなら、「ランニング」「筋トレ」「りんごダイエット」「ファスティング」といった方法論が、目に入ってきやすいですよね。
けれども、そうした方法論の前に、とても大切なことがあります。
そうです、見出しの通りです笑
いま現時点の、自分自身の位置を知ることです。
「3キロ痩せたい」と思ったとしても、いまの自分が何キロなのか把握していなかったら、どれだけがんばったとしても、効果があったのかどうかすら分かりません。
いまの自分の体重を知ることで、そこから目標までどれだけ距離があるのかを知り、その距離に応じて、手段を選べるわけです。
歩いていくのか、車で行くのか、新幹線を使うのか、といった具合に。
当たり前じゃん!と思われるかもしれませんが、とっても大事な視点です。
いまの自分を、否定しないことの大切さ
これ、先に挙げた「ダイエット」や「移動」だったら、話は分かりやすいのですが、心の世界になると、とたんに忘れてしまいがちです。
私たちは、「うれしい」「楽しい」ことを感じたいと願います。
愛おしさのなかに、包まれていたいと感じます。
充実した人生を、生きていたいと思います。
そうした願いに対して、「いま、自分が何を感じているか」は、見過ごされがちです。
いや、見ないようにしてしまうことが多いのかもしれません。
それはさしずめ、体重計に乗るのに抵抗がある感じと、似ているのかもしれません。
あるいは、試験の日までに、やらなければならない課題をリストアップするのに辟易することと、似ているかもしれません。
なぜ、そこに抵抗を感じてしまうのか。
その一つの理由は、「いまの自分の位置を、否定してしまう心理」がはたらいているかもしれません。
「あぁ、こんなにも体重が増えてしまった…」
「まだ、全然やってないし、手をつけていない課題ばかり…」
「クヨクヨして、落ち込んでいる私は、ほんとダメだ…」
そんなふうに。
その自己否定がしんどいから、いまの自分自身の位置を見ることを、避けてしまうことは、非常によくある心理ではないでしょうか。
それは、「いまの自分を知ること」と「その自分を否定すること」が、どうしてもセットになってしまっているともいえます。
はい、私もやることリストは見たくないし、ネガティブな感情にまみれている自分は苦手ですし、自分に対してはよく鬼軍曹モードです笑
私たちは、自分自身に厳しすぎるようです。
「世界じゅうで、自分よりも自分自身に厳しい人はいない」といわれたりもします。
「いまの自分自身を知ること」は、よりよい未来を迎え、なりたい自分になるためには大切ですが、それと「自己否定」をセットにしないことが大切です。
いいも悪いも、ないんです。
ただ、いまの自分はそうなんだな、と。
とても大切な人が、「いま、私はすっごく落ち込んでいるんだよね」と言っていたとしたら。
「は?なに甘えてるの?しんどいのはあなただけじゃないんだよ!」「何なの?そうやって同情を引こうとか、ホントあざとくない?」なんて、言わないでしょう笑
ただ、「そうなんだね。落ち込んでいるんだね」と共感したり、「どうして落ち込んでるの」と聞いてあげたりするかもしれません。
自分自身に対しても、そうしてあげることができたら、「いまの自分を知ること」に抵抗が少なくなると思うのです。
3.「いまを受け入れる」ことは、「許し」への第一歩
「いまを受け入れる」ことの効用と恩恵
「いまの自分」を受け入れることができると、流れが生まれます。
引用文にあるように、たとえ激流のなかにあっても、身を任せていれば、いつかは激流の外側に運ばれていきます。
「いまの自分が感じていること」も、同じです。
それがどんなにしんどい感情であったとしても。
「いま、自分はしんどいんだな」
と受け入れることができれば、その感情は流れ去っていきます。
それを無視して前に進もうとするのは、激流のなかでもがくようなものなのかもしれません。
抑え込んだネガティブな感情が、自分の肚の中で渦巻いてしまったりするものです。
「いま、自分はこの状態なんだな」
「いま、自分はこんなふうに感じているんだな」
そう感じている自分を、認識すること。
それが、「いまを受け入れること」といえます。
そうすると、不思議と心は落ち着きを取り戻します。
「そうか、そうだとしたら、少し休むことが必要なのかもな」
「こんなときは、無理しないに限る」
というように、自分の状態を受け入れた上で、選択をすることができます。
これが、大きいんですよね。
「流れに身をまかせよう」という表現は、いろんな場面で目にしますが、その大前提として、「自分自身のいまを受け入れること」が必要なようです。
それは、「許し」にいたる道
私たちは、誰に対してよりも、自分自身に対してが、一番厳しいものです。
「自分を許すのが、一番難しい」
そんな言葉もあります。
他人を許すよりも、何よりも、自分自身を許すことが難しいものです。
けれども、その逆もまた真なりで、一番許すことで大きな恩恵が生まれるのは、自分自身を許すことです。
その恩恵は、自分自身のみならず、自分の周りの大切な人にも、恩恵が降り注ぐものです。
「許し」については、何度もここで書いてきました。
私たちは、自分自身を許すことで、肩の荷を下ろして、罪悪感から解放され、自由さと無邪気さのなかで生きることができるようになります。
ただ、それは一朝一夕に終わるものでもなく、寄せては返す波のように、何度も何度も、許していく必要があります。
「許し」とは、私たちが生きている限り、続いていく祈りのようなものかもしれません。
「いまの自分を受け入れる」こととは、そうした「許し」への一歩目ともいえます。
どんな自分であれ、否定するにはあたりません。
どんな感情であれ、正誤善悪の判断をする必要はありません。
ただ、そうなんだな、と。
とても大切な人を慈しむように、ただそのままにしておくこと。
「いまの自分を受け入れる」ことは、大きな恩恵をもたらしてくれるようです。
今日は「いまの自分を受け入れる」というテーマで、お伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
〇大嵜直人のカウンセリングの詳細・お申込みはこちらからどうぞ。
※ただいま12月度の個人カウンセリングを募集中です。
〇カウンセリングのご感想のまとめはこちら。