大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

立秋、夏の終わりに夏らしさとは何かを考える日。

夏らしい日差しの、暑い日が続いています。

日中は「うだるような」という表現がぴったりのような、そんな暑さが続いています。

しかし、暦の上では週の半ばに「立秋」を迎え、もう秋に入りました。

季節の挨拶も、「暑中見舞い」から「残暑見舞い」に変わるころです。

七十二候では、「涼風至(すずかぜいたる)」。

吹く風が秋の涼しさを感じさせるころとされますが、まだまだ日中に吹く風は、蒸し暑いだけですね笑

とはいえ、今朝はツクツクボウシが鳴いていました。

ツクツクボウシといい、ヒグラシといい…彼らの声が聞こえてくると、夏が過ぎゆく寂しさで、胸が切なくなってしまいます笑

 

歳を重ねるごとに、「夏」の時間が短く感じるようになってきた気がします。

それこそ、小さいころは夏休みの期間こそが、「夏」でしたがけれども笑

それはともかくとして、気温が高くて暑いのは、それこそ6月くらいから9月終わりくらいまで暑いんですが、それが「夏」かというと、少し違うんですよね。

「夏」って、なんでしょうね。

暦でいえば、「立夏」から「立秋」までの期間なのでしょうか。

それだと、ちょっと広すぎますね笑

ほんとに「あぁ、これこそが夏だなぁ…」と感じるのは、「小暑」から「大暑」あたりまでの時間のような気がします。

梅雨明けしてから、お盆あたりまででしょうか。

そのあたりが、一番「夏」らしさを感じられる気がするのです。

でも考えてみれば、それって2週間ちょっとの期間しか、ないんですよね。

なんだか、思っている以上に「夏」は短いし、気づいたら過ぎていくんだなぁ、と感じるのです。

 

「夏らしさ」とは、なんでしょうね。

その期間にしか見られない空の色だったり、肌を焼くような日差しだったり、花火や夏祭りの風物詩だったり、いろんな「らしさ」があるかと思います。

ただ、私にとっての「夏らしさ」とは。

どこか、「大好きなもの。それでいて、過ぎゆく寂しさがともにあるもの」といった感覚のようです。

だからでしょうか。

とても好きなもので、儚さを感じるものには、「夏」と同じ感覚を覚えるのかもしれません。

過ぎゆくこと、失われることは、確かに寂しさやせつなさの源泉になります。

けれど、季節はめぐります。

この「夏」は過ぎゆくけれど、来年には、また「夏」に会えるのでしょう。

それが分かっているからこそ、その寂しさやせつなさもまた、生きる理由にはなります。

ただ、「この夏」は、ただ一つであり、一期一会なんですよね。

その唯一性がもつ、せつなさ。

それが、私の思う「夏らしさ」なのかもしれません。

 

暑さもまだまだ厳しい残暑が続きます。

暑さ対策を十分にしながら、どうぞご自愛くださいませ。