大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「寂しさ」を我慢したあなたは、誰かを守ろうとしていたのかもしれない。

「寂しさ」を我慢することは、あまりいいことではありませんが、それでも自分を責める必要はありません。

「寂しさ」を我慢することで、誰かを守ろうとしていたのかもしれないのですから。

1.「寂しい」と言えない心理

先日の記事では、「寂しい」と言えない心理、というテーマでお伝えしました。

「寂しい」と言えない心理について。 - 大嵜直人のブログ

「寂しさ」というテーマを続けております。

「寂しさ」とはネガティブな感情ではありますが、私たちにとって大切な感情でもあります。

それがあるゆえに、人とつながりを感じることもできますし、また孤独を癒そうとすることもできます。

こうした「寂しさ」を我慢したり、抑えつけたりしようとしても、それはなくなりません。

「寂しさ」を抑えつけようとすると、それと同じくらいの刺激物を必要としたり、それを抑圧するのに膨大なエネルギーを使うことで、逆に無気力になってしまったりもします。

「寂しさ」って、大切な感情なんですよね。

ただ、こうした「寂しさ」を抑えてしまうことが、起こり得ます。

あまりに辛い別れがあったり、誰も助けてくれないという経験だったり…こうした過去の傷や痛みがあったとき、「寂しさ」の抑圧が起こります。

昨日の記事では、そんなテーマをお伝えしました。

2.それは、責めることではない

さて、今日はこの「寂しさ」を抑えつけたり、我慢したりすることは、自分を責めることではない、とお伝えしたいと思います。

確かに、「寂しさ」は抑えたり、我慢したりすると、あまりロクなことがありません。

これまで触れたように、「寂しさ」を感じないようにするために、アルコールやギャンブル、あるいはハードワークといった刺激物が必要になったり。

あるいは、「寂しさ」を抑えつけるためにエネルギーを使い過ぎて、他に何もできないくらい疲弊してしまったり。

そうしたネガティブな帰結をもたらすことがあるのが、「寂しさ」の抑圧です。

ただ、こうした帰結があったとしても。

それは、「いけないこと」でもないんですよね。

しない方がいいけれど、してしまうときもあるもの、くらいにとらえておくのが、ちょうどいいのかもしれません。

まして、「なぜ、寂しさを我慢してしまったのか」とばかりに、自分を責めるネタにしなくてもいいんです。

「しない方がいいこと」と、「することが悪いこと」は、別なんですよね。

それをしてしまったところで、自分を責めることもありませんし、自分いじめのネタにすることも必要ありません。

「そうするほか、なかったんだよね」

まずは、そう自分に声がけをすることが大切なのだと思うのです。

3.誰かを守るために「寂しさ」を我慢することもある

「寂しさ」は抑圧しない方がいけれど、抑圧してしまったとしても、それは自分を責めることでもない。

そうとらえるためには、「寂しさ」を抑えてしまう心理を、少し深掘りすることも、有効だったりします。

なにも、自分のためだけに「寂しさ」を我慢したのでは、ないかもしれないのです。

大切な人との別れがあったとき。

親しい人を亡くしたとき。

そうしたときに、自分が「寂しい」と言わないことで、誰かを守ろうとすることも、あるように思うのです。

自分が「寂しい」と言ってしまったら、周りの誰かを傷つけてしまうから。

周りの大切な人の「寂しさ」を大切にするために、自分の「寂しさ」をできるだけ抑えようとした。

そんなことって、あるように思うのです。

もちろん、すべての人が当てはまるわけではありませんし、違う理由からかもしれません。

ただ、もしそうだったとしたら。

誰かを守るろうとするために、「寂しさ」を我慢したことは、決して責められるようなことではないように思うのです。

責めるよりも。

よく、我慢してきたよね。

そう、自分に声をかけてあげることが、何よりも大切なことだと思うのです。

今日は、「寂しさ」を我慢したあなたは、誰かを守ろうとしていたのかもしれない、というテーマでお伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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