大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

2024-12-01から1ヶ月間の記事一覧

2024年も、ありがとうございました。

2024年も暮れゆきます。今年もブログにお越しいただきました方、そしてカウンセリングのご縁をいただきました皆さまに、深く感謝申しあげます。

「自立」を経なければ、相互依存には至れない。

カウンセリングで扱う問題の多くは、「自立」の心理が原因だったりします。けれども、「自立」は心の成長のなかで必要なプロセスであり、「自立」できた自分を愛することが大切なのです。

年末に吹く風の冷たさに、故人を想うこと。

早いもので、今年も残りあと2日になりましたね。近所の神社でも、お正月を迎える準備が整っていました。毎年この風景を見ると、「年末だなぁ」という感じがします。

自立の先の「相互依存」は、依存の一部。

自立先には、「相互依存」というステージがあります。しかしこの「相互依存」は、自立を極めた先にあるのではなく、方向転換が必要になるのです。

真に与えるためには、自分のなかの「弱さ」を愛する必要がある。

自立の人は「与える」ことができるといいますが、それはある意味で「かりそめ」です。真に「与える」ためには、自分のなかの「弱さ」を愛する必要があるのです。

【受付終了】2025年1月度個人カウンセリングを募集いたします!

文筆家・心理カウンセラーの大嵜直人のブログにお越しいただき、誠にありがとうございます。1月度の個人カウンセリングを募集いたします。お申し込みのほどを、心より楽しみにしております。

夜明けの空に、星を見上げる年の暮れ。

どうも寒波が来そうですし、いよいよ年末という感じがしてきております。そんな寒い中ですが、この時期ならではの愉しみを見つけました。夜明けの空に見える、星です。

あなたの弱さは、誰かに与えることのできるギフトになる。

自立の人は、自分の「弱さ」を忌み嫌います。しかし、その「弱さ」は、誰かに与えることのできるギフトになるのです。

「寂しさ」は、自立を手放すためのカギ。

「寂しさ」はネガティブな感情ではありますが、とても大切な感情でもあります。それは、自立を手放していくための大切なカギでもあります。

与える、受けとるを考える、クリスマスの季節。

サンタさんの物語というのは、やはり普遍的で。誰かに与える喜び、そして、受けとる喜びというのは、人にとって根源的なものなのかもしれません。

冬至、まだ遅くなる日の出のなかにも希望を見ること。

今日は「冬至」ですね。一年のなかで最も昼間が長く、夜が長いころ。逆に、この日を境に日が長くなっていくことから、再生や復活のシンボルとして世界各地で大切にされてきた日でもあります。

「寂しさ」を我慢したあなたは、誰かを守ろうとしていたのかもしれない。

「寂しさ」を我慢することは、あまりいいことではありませんが、それでも自分を責める必要はありません。「寂しさ」を我慢することで、誰かを守ろうとしていたのかもしれないのですから。

「寂しい」と言えない心理について。

「寂しさ」を抑圧すると、それ以外の感情も感じづらくなったりします。そうした「寂しさ」を抑圧してしまう心理について、お伝えします。

「寂しさ」を感じないようにしていると、他の感情も感じづらくなっていく。

人は「寂しさ」が嫌いで、それを感じないようにしてしまったりします。しかし、一つの感情だけを感じないようにすることは、できません。徐々にすべての感情を感じづらくなっていくことが、「寂しさ」を抑圧することの怖ろしさです。

ちゃんと「寂しい」と言えますか。

「寂しさ」とは、人間にとってとても原初的な感情であり、それゆえにとても大切な感情の一つです。誰のなかにもある「寂しさ」を認めることは、人としてつながりの中で生きていくために、とても大切なことです。

夜明けのグラデーションに見惚れる、大雪の終わりごろ。

時候は「大雪」の終わりごろ。七十二候では、「鱖魚群(さけのうおむらがる)」。鮭が自分の生まれた川を、遡上する姿を見ることのできる時候とされます。

不足感は、胸のうちの「寂しさ」を外に映し出している。

何かが足りないと感じるとき、もしそれがあったとしても満足しないものです。不足感とは、自分の胸のうちにある「寂しさ」を映し出しているものだからです。

「〇〇があったら」は実現しないから、いまの自分にあるものにフォーカスすることが大切。

いまの自分にあるものをフォーカスする視点の大切さについて、お伝えします。それは、自分自身の「才能」を見つけるときにも、同じです。

「才能」の扉は、それを開けると向かい風が吹く。

「才能」の扉は、それを開けると向かい風が吹きます。それを乗り越えさせてくれるのが、「才能」を使って誰かに与える、という喜びです。

「才能」を「青い鳥」にしないために。

「才能」を自覚すると、すべてがうまくいくわけではありません。むしろ、そこがスタートラインであり、そこからプロセスが始まるのです。「才能」を「青い鳥」のように扱わないことが大切です。

痛みは違和感の表れであり、そこにこそ「才能」は宿る。

何かに痛みを感じるというのは、そこに違和感を感じていることの表れです。そしてその違和感とは、あなた自身の「才能」を指し示すものでもあるのです。

自分の「才能」を育てるには、それが「ある」と自覚することがすべてのはじまり。

自分の「才能」を育てていくには、まずそれが「ある」と自覚することが大切です。そのためには、「あるか、ないか」ではなく、「どんなものがあるのか?」という問いかけにすることが、大切なことです。

「才能」がある分野ほど、自分に厳しくなってしまうもの。

「才能」がある分野ほど、自分に厳しくなってしまうものです。厳しいことが悪いことではありませんが、自己受容とのバランスを取っていくことが大切になるのです。

大雪、雪の思い出とともに。

時候は「大雪」になりました。本格的な冬が訪れるころで、その字の通り雪が降り積もる時期です。

「才能」についての自己評価が、まるであてにならない理由。

「才能」とは、息を吐くように当たり前にできることです。それゆえ、自分では意識していなかったり、異常に自己評価が低かったりするから、要注意です。

痛みを越えて与えようとするとき、問題は「才能」として花開く。

自分の望まない経験をしたとき、私たちは痛みを抱えます。しかし、その痛みを越えて与えようとするとき、その問題は「才能」に昇華するのです。

あなたの問題は、あなたの才能の源泉を確かに指し示している。

何に問題を感じるのか、どんな問題を抱えるのかは、その人の才能の源泉を指し示すものです。問題を解消することも大切ですが、それが指し示す才能にフォーカスすることは、非常に大切なことです。

原因を探すことと、問題を解決することは別のもの。

たとえば肩が痛かったり、熱が出たり、身体に不調があると、私たちはその原因を探して解消しようとします。しかし、心の問題では、その原因を探すことと、問題を解消することは別のことだったりします。問題は、その人の価値や才能、魅力の源泉を示すものだ…

その選択で得られるメリットは、いまの自分を満たすのか?

私たちは自分に必要があるから、さまざまな選択をしています。それがたとえ、自分を責めることであっても。しかし、それが「いまの」自分にとって必要かどうかは、よくよく考えてみる必要がありそうです。

自分を責めてしまったときは、「責めることのメリット」を考えてみると抜け出しやすい。

自分責めをしてしまったとき、まずはそんな自分を受け入れ、許すことが大切です。その上で、「自分を責めることのメリット」を考えてみることは、大きな恩恵を与えてくれるものです。