「執着」とは選択肢がない状態であり、誰かから与えてもらいたいと思っているものです。
しかし、そうした「執着」するものほど、実は自分の周りの人に与えられる「才能」を持っているものです。
1.諦められないことにこそ、「才能」は宿る
先日の記事では、諦めないことにこそ「才能」は宿るというテーマをお伝えしました。
簡単に諦められないことにこそ、その人の才能は宿る。 - 大嵜直人のブログ
「諦める」というのは、決してネガティブなことではありません。
その語源が「明らめる(=明らかにする)」であるように、真実をつまびらかに明らかにするという意味があります。
「諦める」、すなわち自分のことを明らかにすることは、それを受け入れることでもあります。
そうすることができてこそ、私たちは誰かとともに生きることができます。
自分の不完全な部分を知り、それを受け入れることで、その部分を埋めてくれる人たちを頼ることができる、というイメージでしょうか。
しかし、すべてがやすやすと「諦める」ことができるかというと、決してそうではありません。
どうしても、諦められないことが、誰にでもあるものです。
親密なパートナーシップ。温かな家庭。つながりを感じられる居場所。経済的な豊かさ…
いろんな諦められないことが、ありますよね。
その「諦められないところ」にこそ、その人の「才能」は宿ります。
ここで言うところの「才能」とは、自分に与えられたものであり、そしてそれは同時に誰かに与えられるものである、という意味でのものです。
一般的に「才能」と聞くと、何かができたり、誰かより優れていたり、人よりも秀でている部分を指すものです。
もちろんそれも、「才能」の意味の範疇ではあります。
たとえば100mを10秒で走れたり、記憶力が優れていたり、球技が上手かったり…そう言った意味での「才能」は、いろんなものがあります。
しかし、心理学においての「才能」は、少しニュアンスが異なります。
時に、心理学では「才能」をギフト(gift)と表現します。
「gift」という英単語には、「才能」という意味とともに、「贈りもの」という意味があるのが象徴的ですよね。
それはまさに、天から与えられた贈りものである、という見方です。
そしてそれは同時に、自分の周りの人たちに与える贈りものでもあるわけです。
しかし、「諦められないものが、自分の才能である」とは、にわかに受け入れ難いものです。
今日は、なぜそれが「才能」といえるのかについて、もう少し考えてみたいと思います。
2.執着するのは、自分がもらおうとしているもの
諦められないこと。
それは、言い換えると「執着」していること、と表現することもできます。
「執着」という心理は、選択肢が無い状態を指します。
別れたパートナーに執着する。
いまの勤務先の会社に執着する。
お金に執着する。
…などなど、いろんな対象に、私たちは「執着」してしまうものです。
そして、その「執着」している状態は、選択肢が無いものです。
だから、別れたパートナーに執着している人に「これからもっといい人に出会えるよ」という言葉は全く響かないですし、
会社に執着している人に「もっといい環境の会社はあるし、独立してもいいんじゃない」と言っても、聞く耳をもたないわけです。
さて、ではなぜこうした対象に、私たちは「執着」してしまうのでしょうか。
一つの心理としては、「執着」するのは、その対象から自分が「もらおう」とするから、と見ることができます。
「もらおう」という心理なわけですから、それは依存的な心理状態であるともいえます。
「まだ全然足りないよ。だから、もっとちょうだい、ちょうだい」
執着している対象に、私たちはそんな想いを抱いていることが多いものです。
そして、依存の状態である以上、それが完全に満たされることは、ありません。
その執着している対象から、運よく何がしかのものがもらえたとしても、それで満足することはできないものです。
「まだまだ、もっと、もっと」と感じてしまうのが、執着のしんどさであり、辛さでもあります。
そのように考えていくと、
「諦めきれない」
そう感じて執着するものは、誰かから与えられる、と期待しているもの、と見ることができます。
3.「無い」と感じるものほど、与えられる「才能」があるもの
さて、ここからがしんどい?話になるのですが、「自分には与えられていない」と感じるものは、誰かに与えるべきもの、という真理があります。
はい、イヤですねぇ…
なんで、与えられていないのに、わざわざ他人に与えないといけないのか。
そう思うのが、普通の人情だと思います笑
けれども、真実はその逆なんですよね。
何かが欲しくて欲しくてたまらなくて執着して、それでも得られないものがあると、私たちは自立していきます。
それが手に入らないことがしんどいので、その気持ちに蓋をして、封印して生きようとします。
けれども、そうするほどに与えてほしいものとは、実は自分に与えらえるものなんです。
そして、自分に与えられるということは、周りの大切な人に与えられる「才能」を持っているものでもあります。
私も、このことを初めて聞いたときは、「は?なんでそうなるの?」と思ったものですが、時を経るごとに、それが真実だと実感できるようになりました。
カウンセリングのなかでも、そう感じることが多いものです。
執着するものほど、誰かに与えられる「才能」があるもの。
自分ごとに置き換えて考えると、それをいきなり100%納得することは難しいかもしれませんね。
でも、「そんな考え方もあるのね」くらいにでも、ご参考にしていただければ幸いです。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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