例年以上に長引く梅雨も今日は中休みのようだったが、晴れ間は見えない。
分厚い雲が、空を覆っていた。
それは、訪れては過ぎ去っていく夏を、どこか惜しんでいるようだった。
気温はそれほどでもないが、湿気は高く蒸し暑い。
そんな朝の、道の混み具合はいつもと変わらなかった。
いつもの道、いつもの時間。
ふと。
ふと、「苦いコーヒー」が飲みたくなった。
目に入る、喫茶店の看板。
赤信号の間、逡巡する。
朝イチで、済ませておきたい仕事があっただろう?
缶コーヒーでも買っていけばいいんじゃない?
忙しい時間に、無駄なんじゃないの?
お金だって、そうじゃない?
いつもそうだ。
ツンと澄ました顔をして、あいつは諭してくる。
理、理性、理知。
り、あるいは、ことわり、というのは、なかなかに抗い難い。
言うまでもなく、それは自分のなかにある、一つの自己愛が発露した形ではある。
踏み外さないように。
損をしないように。
傷つかないように。
失敗しないように。
いつも「ことわり」を以て、見守ってくれている。
そのおかげで、安心することもできよう。
けれど、残念なことは、「正論」と「幸せ」はトレードオフの関係にあることだ。
「ことわり」も行き過ぎれば、毒になる。
ほんの、小さなこと。
ほんの、小さなことでも、 やらなかった後悔というのは、残る。
それは時に、失敗した痛みよりも、苛烈に自分を責める。
それもまた、一つの「ことわり」なのかもしれない。
ときに、「ふと」した声に従うこと。
丸い赤のライトが消え、青のライトが灯る。
ハンドルを、左に切った。
「苦いコーヒー」のはずが、気付けば「ミルクたっぷりのカフェオレ」に変わっていた。
気まぐれな、「ふと」だ。
ほんの小さな、「ふと」で十分なのだ。
それに従うこと。
人もまばらの中、ピアノのBGMが流れていた。
ショパンだろうか。
優しいピアノの音が、沁みわたる。
手帳とスマホを取り出してはみたたものの、それを置いた。
もう少し、こうして椅子に身体を沈めていようと思った。