桜の散り際になると、風の色が変わります。
徐々に移ろいゆくというよりも、ある時ふっと、変わっているという趣があります。
それはどこか、目覚めたら何かが変わっていたかのような、そんな変わり方のようです。
秋とはまた違った、生命力に満ちた清々しさ。
入れ替わるように、ツツジがその鮮やかな色を誇るように咲き始め。
実に、気持ちのいい時期になりました。
もちろん春らしく、崩れる天気になることも、多いのですけれどね。
4月の心地よい風の色は、どこか私に古い記憶を思い起こさせます。
18のころでしょうか。
実家を離れ、一人暮らしを始めたころでした。
引っ越しや諸々の手続きを終え、ようやく少し落ち着いた、週末の休みの日。
まだ下宿して間もなく、何かを一緒にする友人もいなかった私は、一人の時間を持て余していました。
下宿の周りを探索してみようと、家を出て散歩をすることにしました。
スマートフォンもなかった当時、地図もなく、ただあてもなく歩いていく時間でした。
どの道も、自分の知らない道。
一度も、通ったことのない道。
そんな道を通るのは、異邦人になったようでした。
川沿いをてくてくと歩いていくと、大きな緑地公園が見えたので、そこに寄ってみることにしました。
公園のなかには芝生の大きな広場があり、そこで多くの人が敷物をしいたり、ボール遊びをしたりして楽しんでいました。
少し歩き疲れた私は、その芝生に座ってペットボトルのお茶を飲んで、一息つきました。
その広場で遊ぶ人の声が、こだましていました。
時おり「ひゅう」と吹く風は、ここまで歩いてきた私を、やさしくねぎらうようでした。
桜の散ったあと。
その色を変えたようなその風は、不思議と私がいままで感じていた風とは、違うようでした。
いままでの春、私は、何を見ていたのだろう。
そんなことを、ぼんやりと考えていました。
新しい生活、新しい暮らし。
私は、どこへ行ったらいいのだろう。
どこへ、私は行くのだろう。
そんなことを、考えていました。
それは、春がはらんでいる、どこか根源的な不安定さと、無関係ではないような気もするのです。
変化と、孤独とが、入り混じったような、そんな不安。
だからこそ、その春が過ぎゆくときに、変わる風の色は、その風の薫りは、こんなにも心地よいのかもしれません。
結局、その公園を訪れたのは、その一度きりだったように思います。
けれども、風が薫りだす時期になると、なぜかその場所を思い出すことがあるのです。
何があったわけでも、ないのですが。
その場所は、私のなかの過ぎ行く春、そして薫る風の、思い出のようです。