大寒波が訪れた週末だったが、よく晴れていた。
午前8時の時点で気温はまだ氷点下だったが、晴れていると外に誘われるものだ。
せっかくなのでと、昼過ぎに富士山の遊具がある近所の公園を、息子と娘と訪れる。
午後になって4℃まで気温は上がっていたが、それでも風は冷たい。
手袋を忘れた手はかじかみ、動いていないと身体の芯から冷えてきそうだ。
息子と娘は、ブランコで遊んでいた。
私はといえば、身体が冷えないように公園の周りをウロウロと歩き続けていた。
枯れ葉を踏む音が、サクサクと鳴って心地よかった。
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公園の外周を一周して戻ってくると、息子と娘が乗ったブランコの横に、同じくらいの年代の男の子が、一人ずつ立っていた。
東大寺南大門の「阿吽」の呼吸をした金剛力士像よろしく、左右で対になって。
ブランコを替わってほしいのだということは、すぐに分かった。
近くまで私が歩いていく間も、ずっとその金剛力士像はブランコの左右を守っていた。
何がしかの会話をしながら。
息子と娘もまた、何がしかの会話をしながら、ブランコを漕いでいた。
「替わってあげなよ」
よっぽどのところで、その言葉が喉をついて出そうになった。
けれど、私はその言葉を寸前のところで呑み込み、ブランコの前を通り過ぎ、もう一回りしてこようと思った。
ふとした苦い記憶が、にじんだ。
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あれは、息子が3歳か4歳か、そのころだっただろうか。
同じこの公園だったような気もするが、そうでもないような気もする。
同じように、息子はブランコをしていた。
私は、後ろから息子の背を押していた。
まだ、立ちこぎができなかったのだろう。
同じように、息子と同じくらいの年代の女の子が、ブランコの脇でじっとこちらを見ていた。
私は、さも当たり前のように「替わってあげようか」と言い、息子をブランコから下ろした。
息子は、烈火のごとく怒った。
なんでかわらないといけないんだ!と。
待ってる子がいるから。ほら、じゅんばんばん、じゅんばんばん。
教育テレビの歌に出てきたフレーズで説得しようとするが、息子の怒りはおさまらない。
もう帰る!
結局、息子は一人で帰ろうと自宅の方に向かって、大股で歩いて行った。
すごすごと、私は後ろをついていくほかなかった。
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あれは、躾だったのだろうか。
それとも、私の無価値観、あるいは罪悪感の具現だったのだろうか。
その場に残された女の子の、バツの悪そうな顔。
あるいは、その女の子から具体的に「替わって」と言われてもいなかったこと。
それらを思うと、後者のような気もする。
息子が怒ったのは、ブランコが遊べなかったからではない。
「こんな私どもが、すいません。すぐいなくなりますので、どうぞ遊んでください」
私のこころの奥底にある、そんな無価値観、あるいは罪悪感に対して、怒ったのではないか。
ちがう、ぼくはそんなあつかいをうけるべきじゃない。
おとう、きみもそうだ。
じぶんたちを、そんなふうにあつかうな。
空気を読んだり、相手の気持ちを察することも、たいせつだ。
けれど、それと同じくらい、いやそれよりももっとたいせつなのは、自分の気持ちをだいじにすることだ。
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金剛力士像が、何か言ってくるまで、私が何か言うのはお門違いだ。
いや、替わってと言ってきたところで、替わるかどうかは、息子と娘が決めることだ。
もしそこで揉めたとしても、それは息子が選んだ結果なのだ。
それを尊重しよう。
気づけば、金剛力士像は、隣のグラウンドで野球をやっている仲間に呼ばれて、走っていった。
それを尻目に、私はまた外周を歩く。
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二周目から戻ってきた私は、金剛力士像のいたところで、ぼんやりとしていた。
「おとう」
息子が、ブランコを漕ぎながら話しかけてきた。
「どうした」
「おとうが子どものころ、ブランコでぐるんって一周できた?」
「いや、できなかったよ」
「ふーん。友だちは?」
「いやー、聞いたことないな。でもあこがれるよな、それ。もしできたら、すげー楽しそうだもんな」
「うん」
飽きもせず、息子はブランコを漕ぐ。
風は冷たいが、日差しが出てきて暖かくなった。
もう一周歩いてこようかな、などと私は思った。