大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

神無月の熱田さんは、曇天と小雨のもとに。

10月に入り、ようやく気温が下がってきました。

それでもまだ、30度を超える日があったりもしますが…

そんな神無月の始め、熱田神宮を訪れることができました。

いつもの南門の駐車場から。

日差しがないと、ずいぶんと涼しく感じるものです。

ただ、この日は昼前から雨の予報。

その予報を前日に見ていたのに、傘を持って自宅を出るのを忘れるという、間の抜けた私。

参拝が終わるまでは、どうか降らないでくださいませ…

と願いつつ、駐車場から参道へ向かいます。

なんというか、自宅にあるのにビニール傘を買うのが、なんか負けた気がするんですよね。

いや、別に勝ちも負けもないのですが笑

額にぽつり、ぽつりと雨粒を感じながらの、上知我麻神社。

手を合わせて、頭を下げて。

いつもの時間、いつもの祈り。

それがあることが、何よりありがたく。

この日の参道は、参拝客も少なく、静かなものでした。

にぎやかな境内、静かな境内。

どちらもいいものですが、今日の天気には、この静かな境内が合っているような気がします。

ぽつぽつと、落ちる雨が少し増えてきたような気がしますが、気のせいなのでしょう。

足早に参道を歩き、本殿を参拝。

頭を下げ、手を合わせます。

 

何度も訪れていると、時に参拝する姿がとても美しい方をお見かけします。

こう、ビシッとしているというか、柏手の音が違うというか笑

年配の方に多いようにも思いますが、若い方でも芯が通っているというか、そういった参拝の姿をお見かけすることがあります。

立ち姿一つをとっても、その人の生き様、ありようがにじみ出るといいます。

参拝する所作にしても、これまで参拝してきた時間の積み重ねというか、そうしたものがつくり出すものなのでしょうか。

私も、美しい所作で参拝できるようになりたいものです。

仙骨を立てて、背筋を伸ばし、胸を張って。

熱田の神さまの前で、恥ずかしくない姿勢で。

 

そんなことを思いながら参拝を終え、「こころの小径」も歩いているころには、はっきりと雨足が感じられるようになっていました。

大楠さまも、霧のような雨のなかで。

帰りの参道は、木陰を選んで。

そのおかげで、あまり濡れずに済みました。

雨に濡れながらも、それでも早足で歩いたせいか、汗ばんだ私でした。

蒸し暑さが残る境内をあとに。

次に訪れるときには、どんな季節の移ろいが感じられるのかを想像しながら、帰路につくのでした。