先日、時候が「立春」から「雨水」に移り変わる記事を書きました。
その日からでしょうか。
「雨水」どころから、「梅雨」になったかのように、毎日雨ばかりが降る一週間でした。
いや、「雨水」に入ると、降る雪が雨に変わり、雪解けが始まるころではあるのですが、こんなにも降らなくても、と思います笑
それにしても、ずいぶんと長いこと、お日さまの光を見られない日が続きました。
陽の光の持つ力は、いまさらどうこう言うまでもないのですが、やはりそれが見られなくなると、気分もよどんできてしまいますよね。
陽の光の持つ力も、そうなのですが。
雨が降っていると、自然と視線が下を向いてしまうのが、そうした気分にさせるのかもしれません。
人は、上を向いていると、自然と笑顔になります。
「卵が先か、ニワトリが先か」ではないですが、笑顔でいると、気分もまた楽しく感じるものです。
その反対に、下を向いていると、笑顔を作るのにすごく労力が要ります。
実際にやってみると、分かりますよね。
この文章が表示されている画面から視線を外して、上を見てみてください。
自然と、口角が上がっているはずです。
その反対に、この画面からさらに視線を落とすと、気難しい顔になってしまいます。
勝手に口が「への字」になってしまうんですよね笑
雨が降ると、傘も差しますし、足元に注意しないといけないですし、「見上げる」ということをしなくなります。
もちろん、晴れだろうと、雨だろうと、その日の自分の心持ちを決めているのは自分自身なのですが、雨の日に気分がよどむことが多いのは、そんなこともあるのかもしれません。
灰色の雲の向こうの空を想って、空を見上げる時間を持つことは、雨の日の気分転換には必要なのかもしれません。
さて、そんな梅雨のような日が続いておりましたが、週末は久々に青空が見えました。
梅雨が明けたかのような、爽快感がありました笑
雨が続いていて、なかなか気づきづらかったのですが、季節は少しずつめぐっているようです。
陽の光を受けた白梅は、いまが盛りでしょうか。
連日の雨に打たれて、もう花びらが落ちている枝もありました。
近くで見ると、ほんと桜の花に似ていますね。
足元には、オレンジ色の小さな花が。
この柑橘色の花を見ると、いよいよ春がやってくるように感じます。
春は、黄色からはじまる。
そんな言葉を、思い出します。
水仙の花でしょうか。
ここにも、黄色が。実に、春らしく。
水仙の花も、久しぶりの陽の光を浴びて、うれしそうです。
わたしの好きな、木蓮は、開花までもう少しかかりそうでしょうか。
無数の蕾が、いっせいに開くそのときを、じっと待っているようです。
その一つ一つを見上げていると、やはり自然と口角が上がっていました。
空を見上げること。何かを見上げること。
それは、降り続く雨の日々にあっても、大切なことのようです。
それは、私たちを自然に笑顔にしてくれるようですから。