大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

降り続く雨の日々にも、空を見上げる時間は必要かもしれない。

先日、時候が「立春」から「雨水」に移り変わる記事を書きました。

降る雨は、暖かさを含んで。 - 大嵜直人のブログ

その日からでしょうか。

「雨水」どころから、「梅雨」になったかのように、毎日雨ばかりが降る一週間でした。

いや、「雨水」に入ると、降る雪が雨に変わり、雪解けが始まるころではあるのですが、こんなにも降らなくても、と思います笑

それにしても、ずいぶんと長いこと、お日さまの光を見られない日が続きました。

陽の光の持つ力は、いまさらどうこう言うまでもないのですが、やはりそれが見られなくなると、気分もよどんできてしまいますよね。

 

陽の光の持つ力も、そうなのですが。

雨が降っていると、自然と視線が下を向いてしまうのが、そうした気分にさせるのかもしれません。

人は、上を向いていると、自然と笑顔になります。

「卵が先か、ニワトリが先か」ではないですが、笑顔でいると、気分もまた楽しく感じるものです。

その反対に、下を向いていると、笑顔を作るのにすごく労力が要ります。

実際にやってみると、分かりますよね。

この文章が表示されている画面から視線を外して、上を見てみてください。

自然と、口角が上がっているはずです。

その反対に、この画面からさらに視線を落とすと、気難しい顔になってしまいます。

勝手に口が「への字」になってしまうんですよね笑

雨が降ると、傘も差しますし、足元に注意しないといけないですし、「見上げる」ということをしなくなります。

もちろん、晴れだろうと、雨だろうと、その日の自分の心持ちを決めているのは自分自身なのですが、雨の日に気分がよどむことが多いのは、そんなこともあるのかもしれません。

灰色の雲の向こうの空を想って、空を見上げる時間を持つことは、雨の日の気分転換には必要なのかもしれません。

 

さて、そんな梅雨のような日が続いておりましたが、週末は久々に青空が見えました。

梅雨が明けたかのような、爽快感がありました笑

雨が続いていて、なかなか気づきづらかったのですが、季節は少しずつめぐっているようです。

陽の光を受けた白梅は、いまが盛りでしょうか。

連日の雨に打たれて、もう花びらが落ちている枝もありました。

近くで見ると、ほんと桜の花に似ていますね。

足元には、オレンジ色の小さな花が。

この柑橘色の花を見ると、いよいよ春がやってくるように感じます。

春は、黄色からはじまる。

そんな言葉を、思い出します。

水仙の花でしょうか。

ここにも、黄色が。実に、春らしく。

水仙の花も、久しぶりの陽の光を浴びて、うれしそうです。

わたしの好きな、木蓮は、開花までもう少しかかりそうでしょうか。

無数の蕾が、いっせいに開くそのときを、じっと待っているようです。

その一つ一つを見上げていると、やはり自然と口角が上がっていました。

空を見上げること。何かを見上げること。

それは、降り続く雨の日々にあっても、大切なことのようです。

それは、私たちを自然に笑顔にしてくれるようですから。