この間、立春の記事を書いたと思ったら、もう季節は進んで「雨水」のようです。
降る雪が雨に変わり、雪解けがはじまる時候。
その降る雨のなかに、春の息吹を少しずつ感じるころでもあります。
張り詰めた雪や氷の季節から、暖かに流れる潤いの季節に、移りゆく時期のようです。
そんな雨水へ移り変わる日は、朝から雨が少し降っている日でした。
どこか静かな、2月の雨。
まだまだ外は寒く、冷たい雨ではあるのですが、どこかその雨は、やさしく感じます。
七十二候では、「土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)」。
降る雨が、大地に潤いを与える時候とされます。
その潤いが、土の中で眠りについていた生き物たちを、やさしく起こすようです。
眠りについていた生き物といえば、残念なことがありました。
息子と飼っていたコクワガタが、冬を越すことができずに、死んでしまいました。
このコクワガタ、実は2度の冬を越した、長生きしてくれたクワガタでしたが、3年目の冬は越すことができませんでした。
息子の同級生から、いただいたコクワガタでした。
家にやってきたときは、貼りつくようにして飼育ケースを眺めていた息子を、思い出します。
記憶のなかの小さな私も、家にやってきたカブトムシをずっと眺めていたことを、思い出します。
いまのようにカブトムシ用のゼリーなどもなく、スイカやキュウリをあげて、すぐに死んでしまって悲しかったことを、よく覚えています。
いつも家の近くの公園で、セミやトンボ、バッタにはお世話になっていましたが、カブトムシとクワガタは、高嶺の花でした。
一度、遠い親戚の方に、カブトムシが捕れるという雑木林に、連れて行ってもらったことがありました。
夏の夜明け前だったでしょうか。
ワクワクしながらその大冒険に臨んだのですが、残念ながらそこでも捕まえることができませんでした。
親戚のおじさんの申し訳なさそうな顔が、子どもごころにも申し訳なく、出てこないカブトムシを恨んだことを、思い出します。
そう考えると、息子の昆虫生活?は恵まれているなぁ、とうらやましくなったりもします。
小さな虫と過ごした2年半は、息子の心に何かを残したのでしょうか。
雨水に訪れた別れに、そんなことを考えておりました。
そのコクワガタを埋葬しに行こうかと思いましたが、外はまだ冷たい雨が降っていたため、機会を改めることにしました。
もう少し、別れを惜しんでいても、いいような。
雨は、そんなことを言ってくれているようにも思えました。
やはり、2月の雨はどこか静かで、そしてやさしいように感じるのです。