大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

人生におけるタラレバは酒の肴で十分だ ~「前田の美学」に寄せて

「~していタラ」あるいは「~していレバ」は、真剣に考えると自己否定クンの格好のエサになりがちですので、酒の肴にするくらいがちょうどいいように思うのです。

なぜなら、今に至るプロセスが完璧なのですから。

もしも、あのときこうしていたら。
もし、あのことを伝えていれば。
もしも、あのことが起こらなかったら。

過去を振り返ると、ときにそんな想いを抱くことがあります。

はい、私もですね。

あの一杯を自制して帰っていれば・・・

ケチケチせずに、3連単をマルチで買っていれば・・・

慌てて出かける前にトイレに寄っていれば・・・

まあそんな下世話な話から、生きる上でのいろんな選択であったり、人生で起こる思いもよらぬ出来事であったり、さまざまな場面でタラレバを語りたくなります。

そうした空想の時間もいいのですが、「なぜそれができなかったのだろう」と自分を責める格好の材料になりやすいので、タラレバを語るのは酒席のツマミにするくらいがちょうどいいように思います。

今日は大好きなプロ野球選手に寄せた、そんな言葉から。


 

前田の美学

迫勝則 著

私が最も野球を観ていた頃、大好きだった選手、前田智徳さん。

いつも野球のテレビゲームで、私の組オールスターチームの3番センターは「前田智」だった。

かのイチロー選手をして「前田さんこそ天才」と言わしめ、落合博満さんが「プロ野球史上、最も理想的なバッティングフォーム」と称した天才打者。

その素顔を描いてくれる名著。

帯の俯いた写真は凡退の打席ではなく、なんとホームランを打った後のベースラン。結果云々よりも自分が納得できない打席に憤慨する求道者。そしてチームの勝利を優先して静かに魂を燃やす男。

男の子なら、誰しもがこんな漢になりたいと憧れる。

 

もし、あの怪我がなかったら。

もしも、彼がもう少し自らに鞭打つ厳しさを緩めていたら。

耳にするたびに胸が痛んだ「前田は死にました」という受け答えを、彼がすることもなかったのだろうか。

以前はそう思っていたが、今私はそんなタラレバを語るよりも、前田選手が歩んだ道の美しさを想う。

 

自分を認めて、肯定して、許して生きていってもいい。

自分に厳しく、求めて、奮い立たせて生きていってもいい。

振り返ってみれば、どちらも美しいひとそれぞれの生きざま。

引退されて、時おり野球中継などでリラックスした表情とコメントを見かけるにつけ、私は嬉しくなる。

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2017.10.31


 

私は残念ながら運動神経は(人よりも少しだけ)鈍いようですが、スポーツのノンフィクションやルポが好きです。以前はスポーツ雑誌の「Number」を毎号買っていました。

残酷なほどに勝者と敗者が明確に分かれるスポーツにおいては、結果が全てです。しかしそこに到るまでの過程や物語に、私は惹かれます。そのあたり、よく日曜日に書いている競馬雑感につながっています。

あれがなかったら・・・と嘆くよりも、それがあったからこその過程と物語の美しさを見た方が楽しいですね。いつだってプロセスは誰にでも完璧に用意されているのですから。

そして、タラレバは酒席のツマミにするのが一番です。

「もし90年代に交流戦があったら、前田選手とパ・リーグの松坂大輔投手や斉藤和巳投手はどんな対戦を繰り広げていただろう?」

「4歳で三冠と有馬記念を制したナリタブライアンが、その年の凱旋門賞に挑戦していたら、カーネギーのあの強烈な末脚を上回れたのだろうか?」

そんなタラレバは、最高の酒の肴になりますね。

 

今日はどんなタラレバで酔いましょうか。

どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。