いらっしゃいませ、ようこそお越しくださいました。
今日はニュースで私の青春を彩ったヒーローの訃報がありましたので、少し追悼の記事を。
「ミスター麻雀」こと小島武夫さん。享年、82歳だったそうです。
少しでも麻雀にハマったことのある方は必ず耳にしたことのある有名な麻雀プロでした。
戦後のピカレスク文学の最高峰「麻雀放浪記」を書いた阿佐田哲也さん、そして古川凱章さんとともに「麻雀新撰組」を結成、1970年代の麻雀ブームの火付け役となりました。
その破天荒な生き様と、大らかな包容力のある人柄は多くの麻雀ファンに愛されました。
私が高校生のときに初めて買った麻雀入門書の著者が、この小島先生でした。
雀風は手役重視で豪快。
タイトル戦の決勝戦という大舞台で最も難しい役満の一つ「九蓮宝燈」を和了したり、かと思うと何でもアガればOKな場面で、
「天下の小島武夫が、1000点でアガれるか!」
と全く不要な手役を作りに行って逆転負けしたりと、その打ち筋にファンは魅了されました。
「プロなんだから魅せる麻雀を打たないと」
という言葉もよく聞きました。
小島先生がやっていた、ツモってきた牌と手の中の牌を入れ替えて、どちらを切ったか分からなくする「小手返し」という技術に憧れて、取り憑かれたように昼も夜も牌を触っていたことを思い出します。
私のオタクな青春の一ページです。
ええ、学生時代によく打ちました。
よくもあんなにも飽きずに徹夜してまで牌と戯れていたものだな、と振り返ってみると感慨深いものがあります。
そんな麻雀ですが、「不完全情報ゲーム」という分類に入ると言われます。
ポーカーや大富豪といったトランプのゲームと同じですね。
自分の持っている情報は、自分の手牌と場にめくれている牌(捨て牌など)のみで、相手の手牌やこれからツモってくる牌は裏返しになっていて分かりません。
各プレイヤーの持っている情報がまちまちに違うのですね。
一方、「将棋」や「囲碁」や「オセロ」などは「完全情報ゲーム」と呼ばれ、場に見えている情報が全てです。
将棋の盤面に見えないところはありませんし、自分と相手の持ち駒もオープンになっており、つまりは対戦するプレイヤーは全く同じ情報を持って戦うというわけです。
麻雀などの「不完全情報ゲーム」は、将棋などの「完全情報ゲーム」に比べて、プレイヤーの実力差が出にくいと言われます。
アマチュアの棋士が羽生竜王と100局指したとしても、限りなく100敗する可能性が高いですが、一方で麻雀では素人と麻雀プロが100半荘打ったとすると、プロが100回トップを取ることはまず不可能です。
その場にない情報によって勝負が左右されるため、麻雀においては「運」や「ツキ」や「流れ」といったものがよく語られるわけです。
将棋やチェスにおいて、局面局面の正解は突き詰めていくと一つに収束していくのでしょう。
それは膨大な計算能力を持ったAI知能のソフトが、人間の世界チャンピオンや名人を破ってきたことが証明しています。
けれど、麻雀ではなかなかそれが難しいようです。
不確定な情報が多すぎるため、セオリーや効率で語れない局面があまりに多いように思います。
だから、私は麻雀に惹かれたのかもしれません。
不完全なままでいい。
非効率が正しいこともある。
どんなクズ配牌でも、ロマンを夢見ることができる。
そう、小島先生のあの魅せる麻雀のように。
まあロマンとか言ってる時点で、お察しの通り博才は全くなく、いつも負けてばかりでしたが、それでも無心になって打っている時間は楽しかったです。
「ミスター麻雀」の訃報に、そんなことを想いだしたのでした。
小島先生、ありがとうございました。
ご冥福をお祈り申し上げます。