2025-01-01から1ヶ月間の記事一覧
本日お問い合わせフォームよりご連絡いただきましたクライアントさまへのご連絡です。ご返信申し上げましたが、ご記載いただきましたメールアドレスが宛先不明とのことで、エラーが出ております。
文筆家・心理カウンセラーの大嵜直人のブログにお越しいただき、誠にありがとうございます。2月度の個人カウンセリングを募集いたします。お申し込みのほどを、心より楽しみにしております。
執着を手放すための、「お手紙ワーク」をご紹介します。「手放し」のための方法の一つとして、試していただければ幸いです。
執着の心理と、それを緩める「手放し」について、お伝えします。その対象へのポジティブな感情を抱いたまま、距離を空けるのが、「手放し」という選択です。
ある才能を持っているがゆえに、自分は理解されないという苦しみを感じることがあります。その痛みを癒すのは出会いであり、つながりだったりします。
「罪悪感」の大きさと愛の大きさは比例する、と言われたりします。「罪悪感」を感じてしまうとき、自分を罰するほどに愛したかった、という視点は、忘れないようにしたいものです。
何がしかの痛みや問題、あるいは罪悪感というのは、ネガティブに見えます。けれども、それらの裏側にはその人のかけがえのない才能が隠れているものです。
時候は、「小寒」の終わりごろ。明日からは「大寒」と、一年で最も寒い時期を迎えます。
何かに痛みを感じるとき、そこには自分が大切なものがあります。それは、誰にとっても同じではなく、その人の才能を指し示してくれるものです。
ネガティブな感情は、できれば避けたいものであり、それを避けるために私たちは行動を制限したりもします。けれども、ネガティブな感情とは、そのにある痛みや思い込みを教えてくれる、大切なものなんです。
今日は、タイトルの風景が美しかったので、それを書き留めておきたいと思います。読んでいただいても、特に何かの役に立つお話ではありません笑
他人のせいにしたくなるときって、ありますよね。それを無理やりに「自責思考で!」とするよりも、「なぜ他責にしておきたいのだろう」という形で向き合うと、癒しを進めるチャンスにすることができます。
自分の外の現実を変えようとしても、変えられません。すべて内から、自分から、というのが大原則です。けれども、それが「自分責め」にならないように注意が必要です。
「自分の気持ちをわかってもらえない」という不満を感じたとき。それは、自分が自分の気持ちを無視しているときなのかもしれません。
七十二候では「水泉動(しみずあたたかさをふくむ)」。泉の氷が溶け、動き始めるころとされます。外気は厳しい寒さの本番ですが、確実に春へ動き出しているようです。
「自分の気持ちをわかってほしい」という不満を感じたとき。そんなときは、相手の事情や心理的な背景を想像してみることと、その不満を解消していくことができます。
自立の人は、「正しさ」にこだわります。その「正しさ」は、自信の無さを隠すための鎧だったりするのです。
関係性のなかでの自立の依存の立場は、どうしても固定化しやすいものです。しかし、問題はその固定化した関係性を吹き飛ばしてくれるチャンスだったりするのです。
自立と依存の立場が入れ替わるとき、その関係性の危機が訪れやすくなります。しかし、それは関係性が瑞々しさを取り戻し、より深い絆を結ぶために必要なプロセスでもあります。
自立的な人は「正しさ」にこだわります。しかし、自分が正しければ、相手は間違っていることになります。「正しさ」には、そうしたメッセージを発する危うさがあります。
自立している人は、どうしても「正しさ」にこだわります。しかし、「正しさ」は周りとの関係性を蝕むものですから、曖昧にしておくこともまた、大切なことです。
新年の空気も、少しずつ通常運転に戻りつつありますね。ほんと、この空気というのは不思議なもので、お正月は「ぽわーん」とした静かな空気だったのが、徐々に抜けていくようです。
自己肯定のベースになるのは、「いま、ここ」にいる自分を愛することです。ただ、それが難しいこともあります。そんな、いまの自分自身を愛せない心理を、掘り下げてみたいと思います。
何かができたらとか、こうなったらとか、いろんな条件を満たさないと、自分を肯定してはいけないと思いがちです。けれども、自分自身を肯定するのに、「タラレバ」は要らないんです。
私たちはどうしても目に見える結果を求めてしまうものですが、そこに至るプロセスもまた、大切なものです。そして、そのプロセスを愛することが、自己肯定の大切なベースになるのです。
あなたさまの2025年が、あなたらしく輝ける年になりますよう、お祈り申しあげます。今年もまた、どうぞよろしくお願いいたします。