大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

自分が誰かにしてほしかったことを、誰かにしてあげると満たされる。

「愛されたい」という渇きは、「愛すること」で初めて潤い、満たされる。

結局のところ、満たされない思いというものは、外部の誰かから満たされることはない。

真実はおそらくその逆で。

満たされない思いをしている他の誰かに、それを与えることで、始めて満たされるのだ。

子どもの頃、自分が親にしてほしかったことを、自分の子どもにしてあげるといい。

それは、子育てにおける金言であり、そして自分自身を癒すための金言でもある。

学校が休みになり、思いがけず子どもたちと過ごす時間が増えた。

なかなか遠出したり遊びに出ることは難しいが、それでも家の中で一緒に遊んだり、時にギャーギャーとケンカしたり、何やらかんやらして、同じ時間を過ごすことが増えた。

長い長い、春休み。

そのはじまりは、まだ梅の花が咲いていたような気がするが、今はもう桜も散ってきた。

「長いこと学校休みで、いいなぁ」と言うが、息子は「でも、おとうがおやすみじゃないとダメ!」という。

なかなか手厳しいものだ。

そういえば、自分はどうだったのか、とふと思い返す時間も増えた。

父は、その時代に生きた多くの人と同じように、仕事に生きた人だった。

平日の帰りは遅く、仕事柄土日の仕事も多かったように覚えている。

元旦から出掛けて行った年もあった。

私が中学校に上がってから、北陸へ単身赴任へ出てしまったこともあり、父との思い出は薄いように思う。

数少ない父の休日の記憶は、玉のような汗をびっしょりかきながら、庭の草むしりをしている姿だ。

草むしりが終わった後、近所の喫茶店に連れて行ってもらうのが、嬉しかったのを覚えている。

穏やかな、父だった。

いったい、私は父と一緒に過ごせなくて、寂しかったのだろうか。

それも、よくわからない。

恥ずかしながら、不惑も近くなってから、私は自分が「寂しさ」という感情を押し殺して抑圧していたことに気づいたのだが、それがいつからなのか、よくわからない。

父と、母と別れたときからなのだろうか。

それとも。

もっと、以前からだったのだろうか。

それを考えると、どうも頭に霞がかかったようになる。

子どもは、親を助けるために生まれてくる、と聞く。

もし、本当にそうだとしたら。

息子が要求してくることは、すべて私に必要なものなのだろう。

私が父にしてほしかったことを、息子にさせてくれようとしている。

与えてほしかったことを、与える機会をくれているのかもしれない。

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近所の神社へ、一緒に参拝。