「愛されたい」という渇きは、「愛すること」で初めて潤い、満たされる。
結局のところ、満たされない思いというものは、外部の誰かから満たされることはない。
真実はおそらくその逆で。
満たされない思いをしている他の誰かに、それを与えることで、始めて満たされるのだ。
子どもの頃、自分が親にしてほしかったことを、自分の子どもにしてあげるといい。
それは、子育てにおける金言であり、そして自分自身を癒すための金言でもある。
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学校が休みになり、思いがけず子どもたちと過ごす時間が増えた。
なかなか遠出したり遊びに出ることは難しいが、それでも家の中で一緒に遊んだり、時にギャーギャーとケンカしたり、何やらかんやらして、同じ時間を過ごすことが増えた。
長い長い、春休み。
そのはじまりは、まだ梅の花が咲いていたような気がするが、今はもう桜も散ってきた。
「長いこと学校休みで、いいなぁ」と言うが、息子は「でも、おとうがおやすみじゃないとダメ!」という。
なかなか手厳しいものだ。
そういえば、自分はどうだったのか、とふと思い返す時間も増えた。
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父は、その時代に生きた多くの人と同じように、仕事に生きた人だった。
平日の帰りは遅く、仕事柄土日の仕事も多かったように覚えている。
元旦から出掛けて行った年もあった。
私が中学校に上がってから、北陸へ単身赴任へ出てしまったこともあり、父との思い出は薄いように思う。
数少ない父の休日の記憶は、玉のような汗をびっしょりかきながら、庭の草むしりをしている姿だ。
草むしりが終わった後、近所の喫茶店に連れて行ってもらうのが、嬉しかったのを覚えている。
穏やかな、父だった。
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いったい、私は父と一緒に過ごせなくて、寂しかったのだろうか。
それも、よくわからない。
恥ずかしながら、不惑も近くなってから、私は自分が「寂しさ」という感情を押し殺して抑圧していたことに気づいたのだが、それがいつからなのか、よくわからない。
父と、母と別れたときからなのだろうか。
それとも。
もっと、以前からだったのだろうか。
それを考えると、どうも頭に霞がかかったようになる。
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子どもは、親を助けるために生まれてくる、と聞く。
もし、本当にそうだとしたら。
息子が要求してくることは、すべて私に必要なものなのだろう。
私が父にしてほしかったことを、息子にさせてくれようとしている。
与えてほしかったことを、与える機会をくれているのかもしれない。
近所の神社へ、一緒に参拝。