旅先での眠りは浅いようで、午前4時過ぎにはすでに目が覚めていた。
何をするわけでもなく、布団の中でスマートフォンを触りながら、ごろごろともの思いにふけっていた。
軽く2時間ほどは寝返りを打ちながら、いろんなことを思い浮かべながらゴロゴロとしていたが、外がようやく明るくなってきたので、朝風呂に入りに行こうと支度をはじめた。
起きだした息子もついてくる、と言う。
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1年近く前、自分の夢をストーリー仕立てで書く機会があった。
夢の無い男だった私は、四苦八苦しながら「書くこと」を続けるストーリーを書いた。
その冒頭で、このホテルの伊勢湾を臨むオーシャンビューの大浴場で日の出を見ることを書いた。
伊良湖ビューホテル。
3年前、仕事では燃え尽き症候群で、パートナーシップを含めた人間関係はなにをしてもうまくいかず、人生の隘路に迷い込んでしまったような時期に、人の縁から訪れたホテルだった。
その後、見たくない自分の姿と向き合ったり、あるいは自分の好きなものを探す中で、半年後にもう一度子どもたちと日帰りで訪れた。
その帰り道、好きなこと、楽しいことをしているはずなのに、寂しさと悲しさがあふれた。
後部座席で眠りこける子どもたちをバックミラー越しに見ながら、あふれ出るその寂しさと悲しさに耐えられず、声を殺して嗚咽した。
好きなことをしているはずなのに、何で寂しさが募るのだろう。
俺は何がしたいんだろう。
いや、それよりも、この悲しさを、誰か何とかしてほしい。
返ってくる答えもなく、音羽蒲郡インターから東名に乗るまでの渋滞がことさらに長く感じ、また苛ついていた。
学生時代から偏執狂のように聴いてきた、Enyaの"a day withot rain”が流れていたように思う。
それから2年ほど訪れることもなかったのだが、去年、その夢をストーリー仕立てで書くときにふと思い浮かんだのは、なぜだったのだろう。
それから10か月。
なぜか、このホテルを再訪することに抵抗があったように思う。
車を飛ばせば2時間ほどで、他の観光地のホテルとそんなに金額的にも大差のないホテルなのに。
辛い時期に訪れたり、寂しさと悲しみの蓋が開いた経験から避けていたのだろうか。
いや、違うように思う。
訪れようと思えば、いつでも訪れることができるこのホテルを「夢」にしてしまった途端に、それを叶えることが怖くなってしまったのだと思う。
人は、夢を叶えるよりも、それを遠くで眺めていることを望む。
夢を叶える、ということは、怖いものだ。
それが、私のようにどんな小さな夢であれ。
不幸になるよりも、幸せになる方が怖いことと同じように。
潜在的に、人は変化を怖れる。
もし夢を叶えてしまったら、いまの自分ではいられなくなる。
それも、夢を叶えることの恐ろしさの一つだろう。
それが、あれよあれという間にこのホテルを家族で訪れることになった。
先のことは、分からないものだ。
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露天風呂から望む徐々に明るくなってきた空は、しかし残念ながら厚い雲に覆われて太陽を拝むことはできなかった。
昨日の午後から降り出した雨は、夜半には雨足を強め、今日の朝までは降り続くらしかった。
時間ごとの天気予報を逐一チェックしながら、晴れたオーシャンビューは望めそうにないな、と半ば諦めていた。
それでも、せっかくだからと曇天の露天風呂に出てみた。
息子は扉に貼り付いた蛾を見つけて、気持ち悪がりながらもついてきた。
しばらく湯に浸かってぼんやりしていると、それに気づいた。
虹だ。
しかも、足元まではっきりと映っている。
息子と一緒に興奮しながら「けいたい」で撮ろう!と急いで風呂を出て、着替えて外に出てみた。
もうだいぶ薄くなっていたが、それでも撮影して分かるくらいの鮮明さは残っていた。
3年前の蹉跌も、悲しみの蓋も、降り続いた雨も、このためだったのかと思う。
けれど、私はふと思い直す。
いや、そうやって考えるのはよくできた物語のようで聞こえはいいかもしれないが、決してそうでないかもしれない。
原因と、結果を切り離してみる。
そこに何の因果も、きっとないような気がする。
ただ、息子とええもん観れたな、とニタニタしている時間があっただけだ。
なんかよく分からないけれど、何もかもうまくいかないときもあれば、
なんかよく分からないけれど、何もかもうまくいくときもある。
それでいいんだと思う。
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あの露天風呂で、虹が見えた!すごい!と私と息子が騒いでも、周りの宿泊客の人たちはまったく意に介さず、のんびりとお湯に浸かっていた。
他の人にとっては、どうでもいい取るに足らないこと。
けれど、本人にとっては、ものすごい奇跡のようなこと。
夢や幸せというものは、そんなようなものかもしれない。
ただ見えていないだけで、案外そこらじゅうに転がっているのかもしれない。
そんなことを思う、虹の足元を見た日だった。
そういえば、虹の足元には、夢が埋まっていると聞く。
私にとっては、すでに夢が叶っている場所で観たその足元には、何が埋まっているのだろうか。