2025-04-01から1ヶ月間の記事一覧
自己否定はしんどいものですが、それは自分が設定しているハードルの高さを教えてくれるものでもあります。そしてそのハードルの高さは、自分の「才能」とも密接に関係しています。
「才能」のある分野は、それだけ自分への要求や期待も高くなります。それが自己否定という形で表れることもあるので、注意したいところです。
三つ子の魂百まで、とは言いますが、小さいころに好きだったものは、自分の本質や才能と密接な関係があります。それを、できるだけたくさん挙げていくことは、私たちの才能を見つけていくのには実に有効です。
春を過ぎて、もう夏の気配を感じさせるようです。時候は、「穀雨(こくう)」の終わりごろ。穀物を育てる恵みの雨が降り注ぐころとされますが、雨以上にお日様の恵みを感じさせるころになりました。
車を運転していると、遠くのアスファルトに逃げ水が見えました。ゆらゆらと揺れるその水たまりは、いつになっても近づくことはなく、いつまでも遠くで揺れていました。その光景は、いつかの記憶を想起させるのでした。
桜も散ると、風の感じが変わるようです。この時期の澄んだ風を浴びていると、同じような澄んだ風を浴びた、古い記憶が想起されるのです。
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何に時間とお金をかけてきたかは、自分が何と向き合ってきたかを端的に教えてくれるものです。それは、自分自身の才能を見ていくときには、とても大切な問いかけです。
自分にとって「当たり前」に感じる部分は、他人にとってはそうではありません。才能や魅力も、この「当たり前」のように感じる部分に宿るのですが、それゆえに自覚しづらいものだったりもします。
「痛み」を感じる部分は、その人の愛と才能が眠っています。たとえば、寂しさに痛みを感じるならば、居場所を与えられる才能があるのです。
今日は、心理学というよりもエッセイ的な何か、です。肩肘張らずに読み流していただけますと幸いです。
葉桜過ぎて、ツツジ咲くころ。爽やかな風を浴びる喜びを感じながら、ゆっくりと変化を楽しんでいきたいものです。
人がなにがしかの「痛み」を感じるとき。それは、そこに愛と才能があるからこそ、感じるものだったりします。
大切な人を愛せないとき、受け入れられないとき、私たちは強い痛みを感じます。その痛みのルーツと、癒し方についてお伝えします。
「完璧でないと、愛されない」という観念は、多くの自立的な人が持っているものです。この観念を持つに至る源泉と、その勘違いについて、お伝えしてみたいと思います。
「完璧でなくては、愛されない」そうした観念を持ってしまうことは多いものです。その観念と向き合うことは、私たち自身の本質的な部分を映し出してくれるようです。
何かを隠そうとすると、私たちは罪悪感を抱えてしまいます。それは自分の「短所」や「欠点」でも同じです。
咲き誇った桜も、もう散り際になっていました。桜の木の下を歩いていると、吹く風に、散った花びらがひらりと舞う。春も過ぎ行くのだな、と感じる風景です。
4月、卯月。年度変わりの時期でもあり、本格的な春へと変化のタイミングでもあります。そんな4月に、熱田神宮を参拝することができました。
完璧になるほどに、欠点がなくなるほどに愛されると、私たちは思ってしまいがちです。けれども、愛されるのはいつだって、自分が短所だと思っている部分だったりするのです。
「弱さ」は、自分と周りとのつながりを生むものです。ただその前提として、「信頼」が必要になるのです。
自分の「弱さ」をどう扱うかは、周りの人との関係性にも大きな影響を与えます。「投影」の視点から、それをお伝えしたいと思います。
自分の「弱さ」の扱い方は、ネガティブな感情のそれとよく似ています。どちらも、それを消そうとするのではなく、自分のなかの一部として受け入れることが必要なのです。
「正しさ」は自分の弱さを守るための鎧であり、盾です。その弱さを癒していくと、「正しさ」が要らなくなっていきます。
小学校の国語の授業だったでしょうか。「はながさく とりがうたう」という言葉を、声に出して学んでいたことを思いだします。
霞がかった空が透き通り、澄んだ風が吹き、そして万物が生命を謳歌し、美しく輝く。その美しさは、春のざわめきのなかにこそ、あるのかもしれません。
「正しさ」にこだわると、人間関係を損なってしまうことがあります。では、「正しさ」を手放すためには、どうしたらいいかを考えてみます。
「許し」のプロセスでは、相手の立場や感情を想像することが大切になります。しかし、「正しさ」にこだわると、そうした想像力は容易に失われてしまうものです。
「許し」のプロセスでは、「感情的理解」がとても大切なポイントです。自分を許すときにおいても、それまでの自分に対してこの「感情的理解」を寄せることができると、「許し」が進みやすいのです。
自分を許すのが、一番難しいと言われます。そんな「自分を許す」ことのイメージを、お伝えしてみたいと思います。