大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

2025-03-01から1ヶ月間の記事一覧

「許し」のプロセスの終着点は、父と母、そして自分を許すこと。

「許し」は、ある特定の相手に対しての許しからはじまります。そのプロセスの先には、父親と母親、そして自分自身という存在への許しが待っているものです。

木蓮の花、その散り方が美しく、そしてまた切なく。

桜の開花も気になるのですが、この時期に咲く木蓮の花もまた、美しいものです。歳を重ねるごとに、その美しさを感じられるようになりました。

それでも、桜は咲く。

桜の開花の報が、各地から届きはじめました。私の住んでいる名古屋でも、咲き始めました。

悪いことをされたのは自分の方なのに、なんでこちらが許さないといけないのか?

「許し」は、相手に施すものではありません。それは、ほかでもない、自分自身の幸せのためにするものなんです。

「無害者」のポジションに至るのに必要な「許し」と、「感情的理解」について。

「無害者」のポジションにいたるには、「許し」がカギになります。そして「許し」には、感情的理解が一つのポイントになるのです。

「正しさ」を必要としたのは、自分の本音を否定されるのが怖かったからかもしれない。

とかくやり玉に挙げられる「正しさ」ですが、なぜそれが必要だったのか?、という視点は、多くの気づきを私たちに与えてくれるものです。

自分を守る「正しさ」よりも、お互いの「幸せ」を選ぶ勇気を。

「正しさ」は、自分を守る鎧のようなものです。けれども、それは同時に相手を遠ざけるものでもあります。

【受付終了】4月度個人カウンセリングを募集いたします。

文筆家・心理カウンセラーの大嵜直人のブログにお越しいただき、誠にありがとうございます。4月度の個人カウンセリングを募集いたします。お申し込みのほどを、心よりお待ちいたしております。

ゆっくりとした春の訪れ、人もまたそれにあわせた歩みを。

この春は寒の戻りが厳しいというか、ゆっくりとした歩みのように感じます。桜も、木蓮も。咲く姿をゆっくりと楽しんでくださいね、といった感じなのでしょうか。

「無害者」の心理 ~被害者と加害者の螺旋から抜け出すために。

被害者のポジションにいると、相手を責めるうちに加害者の側に入ってしまうものです。こうした被害者と加害者の螺旋を抜け出すために、「無害者」の考え方をお伝えします。

被害者のポジションでいると、依存的になり罪悪感を抱えるので、しんどいもの。

被害者のポジションにいると、どうしても依存的になり、また相手を責めるので罪悪感を抱えます。アカウンタビリティを持つことは、こうした被害者のポジションから解放してくれるものです。

春分の日、喜びも悲しみも、同じように。

今日は「春分」ですね。12月下旬の冬至から、少しずつながくなってきた日の長さが、とうとう昼と夜を等分するまでになりました。

アカウンタビリティの概念と、自分軸で生きるということ。

どんな状況であっても、それを選んだのは自分であり、自分に責任があると考えることをアカウンタビリティの概念と呼びます。これは、自分軸で生きるためには、とても重要な考え方になります。

たとえ「感謝」できなくても、それで自分を責める必要はまったく無い。

「感謝」は大切ですが、生きていれば「感謝」できないときもあったりします。けれども、それで自分を責める必要はまったくありません。

自分自身の扱いを変えるための「感謝」。

自分自身をどう扱っているかは、当たり前になってしまって、なかなか気づかないものです。そうした扱いを変えるためには、「感謝」をおすすめします。

「菜虫化蝶」、いろいろと変わりゆく春だから。

早いもので、時候はもう「啓蟄」の終わりごろになりました。七十二侯では、「菜虫化蝶(なむしちょうとなる)」。さなぎの姿で冬を越した虫が羽化し、蝶になり春の空を舞うころとされる時候です。

自分自身をどう扱っているかが、そのまま他人とのコミュニケーションに映し出される。

他人とのコミュニケーションは、自分が自分をどう扱っているかの投影です。自分と仲直りし、受け入れ、愛することができると、必然的にそれが周りとの関係に映し出されるのです。

自分を整えることは、一人でしなくてもいい。

コミュニケーションをよくしようとするとき、まずは「自分を整える」ことが大切です。そしてそれは、自分一人でしようとしない方がいいんです。

言葉で伝えることは、再確認にすぎないかもしれないが、それは安心感を生む大切なこと。

言葉で伝えることは、コミュニケーションのなかのほんの一部でしかありません。けれどもそれは、お互いに再確認をすることで安心感を生む、とても大切なことでもあるのです。

何を伝えるかも大事だけれども、どうあるかもすごく大切。

コミュニケーションを考えるとき、どうしても私たちは「何を伝えるか」を重視してしまいがちです。しかし、「何を伝えるか」も大切なのですが、「どうあるか」もまたそれ以上に大切だったりします。

「本音」は、相手を傷つけない。

自分の思っていることを相手に伝えるのは、いろんな意味で難しかったりします。けれども、「本音」は相手を傷つけないものです。

思っていることを言えなかった経験を、自分を愛する視点でとらえてみると見えてくるもの。

「思っていることを言えなかった」ことは、後悔や自己否定を生みやすいものです。そうした経験を、自分を愛することから見る視点をご紹介します。

下弦の三日月を見上げた夜。

ふと見上げると、薄曇りの夜空に浮かぶ、三日月。左半分か右半分が欠けるのが、三日月のイメージなのに、不思議なものだと、しばしその月を見上げていました。

弥生はじめの熱田さんは、静かに雨に濡れて。

時候は「雨水」の終わりごろ。そんな弥生のはじまり、熱田さんを参拝することができました。

何を「問題」とするかは、その人の才能と密接に関わっている。

「問題」とは、その人の描いている理想と現実のギャップがつくります。それは見方を変えると、何を「問題」とするかは、その人の才能と密接に関わっているのです。

問題をつくっているのは、誰なんだろうか?

そもそも、この問題をつくっているのは、誰なんだろうか?問題の渦中にいると忘れがちなこの視点は、主体性を自分に取り戻してくれます。

自分の価値や魅力を受けとるためのワークについて。

自分の価値や魅力は、自分自身が一番分かっていなかったりするものです。それを知り、受けとるためのワークをご紹介します。

問題を解決するから癒されるのではなく、癒されるから問題が気にならなくなる。

「問題」が起こると、それを解決しないと癒されないと思ってしまいがちです。でも、それは実は逆で、癒されると「問題」が気にならなくなったり、勝手に解決していくという順番が正しいのです。

癒されると、問題は気にならなくなるし、忘れてしまう。

「癒し」とは、ものごとの見方がポジティブに変わることであり、カウンセリングでも中心的なテーマの一つです。では、癒されるとどうなるのか?について、お伝えしてみたいと思います。

梅の花咲く、弥生の初めころ。

もう3月に入りました。時候では「雨水」の終わりごろ。七十二候では、「草木萠動(そうもくめばえいずる)」。