大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「自立」の傲慢さは、「能力主義」のそれとよく似ている。

「自立」が過ぎると、傲慢になってしまいます。

それは、「能力主義」が持つ傲慢さと、よく似ているようです。

1.謙虚になるほどに、受けとれるものが増える

昨日の記事では、謙虚になるほどに、受けとれるものが増える、というテーマでお伝えしました。

謙虚になるほどに、たくさんのものを受けとれる。 - 大嵜直人のブログ

なんだか、道徳の教科書みたいな見出しですね笑

あまり説教くさくならないように、がんばって書きます笑

私たちの心は、「依存ー自立ー相互依存」という成長プロセスをたどります。

自分では何もできないという「依存」の状態からはじまり、そこからなんでも自分一人でやろうとする「自立」へと成長していきます。

「自立」とは、一般的なニュアンスのとおり、ポジティブな意味がたくさんあります。

自分の足で立ち、自分のできることが増やしていくことができるのは、「自立」の恩恵の最たるものです。

しかし、その反面、孤独を抱えやすくなったり、周りと衝突するようになったりもするのが、「自立」だったりします。

また、自分でなんでもやろうとするあまり、周りからの好意や愛情といったものを受けとりづらくなります。

そうすると、ご想像のとおり、めちゃくちゃ生きづらいわけです。

「自立は受けとれない」とよく言われますが、この受け取り下手が、生きづらさの一因だったりします。

こうした受け取り下手を癒すのが、「謙虚さ」であるというのが、昨日のテーマでした。

別の表現をするならば、すでに与えられているものの大きさに気づく、ともいえるでしょうか。

自分だけの力で、歩いてきたのではない。

そんな謙虚さは、私たちが受けとるものを大きく増やしてくれるものです。

2.能力主義は平等なのか?

「自立」と「謙虚さ」のテーマを昨日書いていて、似たような話が別のテーマであるな、と思いましたので、今日はそのことについて、少し書いてみたいと思います。

少し心理学とは離れますが、違った角度から「自立」を考える参考にしていただければ幸いです。

少し前に話題になった、マイケル・サンデル氏の「実力も運のうち」(早川書房)に、提起されていたテーマです。

「能力主義は正義か?」という問いかけ。

言い換えると、「自分の努力や才能によって、社会的な地位や収入が決まる社会」と、「自分が生まれた家柄や階級によって地位や収入が決まる社会」のどちらが望ましいか?というテーマです。

こう聞くと、多くの人が「そりゃ、前者の方が望ましい。家柄で決まるなんて、前近代的だ」と思われるのではないでしょうか。

私自身も、そう思ってました笑

しかし、よくよく考えてみると、「努力できること」自体が、その人の生まれた家庭環境や習慣によってもたらされているのかもしれません。

たとえば、頑張って勉強して学力を上げれば、東京大学にも入学できる制度が、いまの日本にはあります。

けれども、そもそも「勉強をがんばる」という習慣すら、生まれた環境や学校、地域社会によって与えられたものだとすれば、「勉強すれば報われる」という考え自体は、何の公平性もないように思われます。

(よく言われるように、東京大学の入学者の年収や地域に、明確な相関関係がありますよね)

本人のなかでは「当たり前」になっているくらい、「無自覚に」身につけた習慣による恩恵は、私たちが考えている以上に大きいように思うのです。

そこで、知らず知らずのうちに「与えられている者」が、「努力すれば報われるんだ、報われないやつは努力が足りないから、自己責任だ」というのは、あまりにやさしくない社会のように、私は思うのです。

サンデル氏のこの著書のタイトル、「実力も運のうち」は、まさにそのことを指しています。

3.与えられたものを自覚しないと傲慢になる

その「与えられたもの」に無自覚な能力主義は、傲慢になります。

それがはびこるのは、あまりいい社会ではないかな、と私も感じます。

先に書いた「家柄によって社会的な地位や収入が決まる社会」では、そうならないような考え方がありました。

たとえば、19世紀のフランスで生まれた「ノブレス・オブリージュ」という言葉がありますが、貴族階級にはそれ相応の社会的責任や義務がある、という考え方です。

寄付や慈善活動といった行いをして、社会的な責任を果たしなさいよ、と。

与えられたものの大きさを、自覚しなさい、という考えとも言えます。

それは、何も高貴な精神性ばかりではなく、それを怠ると、「持たざる者」から嫉妬ややっかみ、怨嗟といったものを向けられるという、現実的な側面もあったのでしょう。

「お前ばっかり、いい思いしやがって」という目線で、見られないように。

翻って考えるに、「自立」をこじらせると、私たちは傲慢になります。

自分だけがやっている、自分しかできない、周りは何もしてくれない…

その傲慢さが過ぎると、手痛いしっぺ返しを必ず食らいます。

多くの場合、「問題」として自分の前にあらわれるのですが、このしっぺ返しが、しんどいんですよね、ほんと笑

「自分だけががんばっているのに、なんでこんな目に遭わないといけないのか…」

そんなことを感じることすら、あるのでしょう。

そんなときこそ、自分の傲慢さに気づくタイミングなのかもしれません。

でも、それは、決して悪いプロセスなのではありません。

「自立」から「相互依存」という、「ともに生きる」という心理的な成長プロセスなのです。

今日は、「自立」と「能力主義」の傲慢さ、というテーマでお伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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