大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

2024-01-01から1年間の記事一覧

「感情的理解」のプロセスと、その先にある感謝と恩恵。

その相手やできごとを、感情面から理解していこうとするプロセスについて、お伝えします。それによる恩恵は、誰よりも自分自身に与えられるものだったりします。

「無害者」の視点に立つには、自分が我慢することではなくて、自分の心に余裕を持たせること。

「加害者」でも「被害者」でもない、「無害者」の立場。その立場に立つためには、自分が我慢することではなくて、その逆に自分の心に余裕を持たせることが必要です。

雨上がりの木々のざわめきを聞く、卯月の熱田さん。

桜が咲かないとか、咲いたとか。そんなことを言っているうちに、もう卯月の声を聞くころになりました。そんな卯月のはじめ、熱田神宮を参拝することができました。

誰かのせいにも、自分のせいにもしない、「無害者」という視点。

加害者でも被害者でもない、「無害者」の視点というものがあります。誰かのせいにするでもなく、かといって自分のせいにするでもなく、起きていることをそのままに引き受ける姿勢です。この視点は、自分の生を主体的に生きることを助けてくれます。

自分の生をそのままに引き受ける、「アカウンタビリティ」という見方。

「アカウンタビリティ」という概念があります。自分の生を主体的に引き受け、生きていくためには欠かせない見方です。

「休む」「眠る」ことに罪悪感を持ってしまう、ハードワーカーさんへ。

がんばってきた人ほど、「休む」「眠る」ことに罪悪感を持ってしまうことがあります。それでも、自分の心と身体を深く愛するためにも、休むことは欠かせません。

自己肯定とは、「自己否定してしまう自分」も受け入れてあげること。

自分を肯定する、受け入れる上で大切なのは、それができない自分も肯定してあげる、という点です。それは、自己否定をしてしまう自分を、まるっと包み込んでしまうようなイメージです。

選択権は常に自分にあり、何を正解とするかも自分次第という意識を持つことの大切さ。

ものごとにはいろんな見方があり、いろんな選択肢があります。どれが正解か?と考えるよりも、その選択権は常に自分にあって、何を正解とするかも自分次第という意識を持つことの方が大切です。

どうして、自分の周りにはイヤな人ばかりが集まってくるのだろう? ~2つのアプローチから考えてみる

自分の周りに、イヤな人ばかりが集まってくると感じるとき。場所と投影という、2つの視点からのアプローチをご紹介します。

春の不安定さを、淡い桜の色のなかに想うこと。

それもまた、春のしわざ。そんな風に考えて、自分の身体と心を、いたわってあげてください。ゆるくゆるく、やさしく、あまく。そう、あの桜の花の、淡い花の色のように。

「投影」を、自分と向き合うためのヒントにする視点とは。

「投影」は、心理学のなかでも最も重要な概念の一つです。この「投影」の見方を使って、自分と向き合い、そして愛していくための視点をご紹介します。

目に映る現実から、自分の本心が見えてくる。

目に映る現実が、自分の望むものではなかったとき。そこから、自分の本心と向き合うことができます。そんな見方について、お伝えします。

幸せを感じるために、条件を付けたがる心理とは。

幸せを感じるのに、何がしかの条件をつけたくなるものです。そうした心理について、少し深堀りしてみたいと思います。

幸せを感じるのに、条件付けなんて要らない。

何か問題があると、それを解決しないと幸せになれない、と考えてしまいがちです。しかし、真実はそうではありません。幸せを感じるのに、何ら条件付けは要りません。

自分が「犠牲」していることに気づいたときに、それをどう捉えるか?

自分が「犠牲」していることに気づいたとしても、何か悪いことをした、自分は間違っていた、と思わなくていいんです。それよりも、「犠牲」してまで与えたかった、愛したかった、という想いに目を向けてほしいのです。

「犠牲」の心理と、その奥底にある喪失感について。

「犠牲」をしてしまうのは、無価値感ゆえに、自分に役割が必要になるからです。その奥底には、なにか大切なものをなくした喪失感があるものです。

【受付終了】 4月度個人カウンセリングを募集いたします!

文筆家・心理カウンセラーの大嵜直人のブログにお越しいただき、誠にありがとうございます。4月度の個人カウンセリングを募集いたします。あなたさまのお話をお伺いできますことを、心より楽しみにしております!

誰かを大切にしたいなら、まず自分を大切にすること。

与えたい人や、他人の心情を推し量れる人ほど、自分よりも周りの人を優先してしまうものですが、それは「犠牲」になりしんどくなってしまうものです。誰かを大切にしたいなら、まず自分を大切にすることが必要です。

加害者と被害者の心理的な負の連鎖と、その抜け出し方。

加害者と被害者は、立場を入れ替えながら癒着しやすいものです。そんな負の連鎖の心理と、その抜け出し方について、お伝えします。

欲しくても与えてもらえなかったものは、あなたが与えられるもの。

欲しくても与えられなかったものは、自分が自分に与えていないものです。それはまた、誰かに与えられるものでもあります。そんな不思議なテーマをお伝えします。

春分の日の雨に、折り返しについて想うこと。

今日は、春分の日ですね。私の住んでいる名古屋では、冷たい雨の日でした。分厚い雲の向こう側の、お日さまを想像しながら。そんな、春分の日でした。

「寂しさを感じることができると、音信不通だった相手から連絡が来る」事象を、どう解釈するか?

自分とつながると、外側の現実の事象が変わる。よく言われることですが、なぜそれが起こるのかを、いろんな視点から説明してみたいと思います。

欲しかった形で愛を与えられなかったことを、どう解釈したらいいか。

欲しかった形で愛を与えられなかった。そんな経験があったとき、それを解釈する2つの視点をご紹介します。

満開の木蓮の花は、暗がりを照らす白き灯篭のように。

私の大好きな木蓮も木も、その花を見事に咲かせていました。ほんの数週間前は、固い蕾に覆われていた無数のそれは、いま白き炎のようになり、冬の暗がりを照らしているようです。

受けとれる愛の総量を増やすには、愛についての観念を手放していくこと。

受けとれる愛の総量が増えることは、私たちの生を豊かに、そして実り多きものにしてくれます。そうるためには、愛についての観念を手放していくことが大切です。

「愛される人」のイメージを書き出してみると、自分が設定した自己受容の条件が出てくる。

自己受容の原則は、いま、ここにいる自分を受け入れることです。しかし私たちは、自分を受け入れることに、何らかの条件をつけてしまいがちです。自分の設定したその条件を知り、それをゆるめていくことが自己受容には大切なようです。

自己受容のベースには、自分軸が要る。

自分を愛する根拠を、私たちは自分以外に求めてしまうものです。なぜそうなってしまうのかという心理と、軸を自分に取り戻していくための考え方について、お伝えします。

他人軸を手放すには、主語を「わたし」に変えることを意識することが有効。

「自立」の状態では、主導権は持っているものの、その行動原理は他人の評価や顔色だったりします。この他人軸を手放していくためには、「わたし」を主語にすることがとても有効です。

感情を抑圧することと、我慢することの違いとは。

感情を抑圧していると、さまざまな不都合が生じるものです。この感情を抑圧することと、似て非なるものに、感情を我慢することがあります。その違いについて、考えてみたいと思います。

「自立」にいると罪悪感を強く感じるから、自分を労わることが大切になる。

「自立」の側にいると、罪悪感を感じやすいものです。それを癒すのは、「よくここまでこれましたね」という、自分への労わりです。