2018-01-01から1年間の記事一覧
ジュリア・キャメロン著「The Atrtist's Way(邦題:ずっとやりたかったことを、やりなさい。)」の実践ワーク4日目。今日も早起きして「モーニング・ページ」をやってみた。
断酒7日目である。今日もブログを書いてアウトプットをして、金曜日の夜という魔の時間帯を乗り切ろうと思う。すでに1週間継続していると思うと、なかなか趣深い。
ジュリア・キャメロン著「The Atrtist's Way(邦題:ずっとやりたかったことを、やりなさい。)」の実践ワーク3日目。今朝から実際に「モーニング・ページ」のワークを始めてみた。
夜なればこそ。きらびやかなイルミネーションが映えるのも、夜だから。昼間の明るさの下では、それは映えない。
ジュリア・キャメロン著「The Artist's Way(邦題:ずっとやりたかったことを、やりなさい。)」のワーク実践2日目。
断酒5日目である。今日は私の断酒にとって一つの挑戦があった。気の置けない仲間との「飲み会」があったのである。
目に映る世界の細部を、ほんの少し眺めてみると、その大きな変化に気づく。そして、その変化は私の内面の変化なのかもしれない。
断酒4日目である。「断酒」のメリット・デメリットや、継続でも失敗でもその経緯や、お酒について思うことなどを、20年以上愛飲家を続けてきてお酒を辞めることにした私個人の視点として綴っていきたいと思う。
あの一心不乱に描く息子のように、童心なって書きたい。でも、どうやったらあんな顔で書けるのだろう。そうしたときに、私の頭に一冊の本が思い浮かんだ。
無心に、ただひたすらに、コンテンツをつくりたい。ただただ、夢中にいる時間を過ごしたいのだ。ただただ、昨日の息子のような目をできる瞬間を過ごしたい。
本日を以て、無期限の断酒を宣言する。
人の成長は、「感情の繊細さ」の成長なのだ。そういった意味では、過去に自分の感じていたことを記録していく、ということはとても意味のあることのように思える。アウトプットして残しておくということは、自分にとってとても貴重な財産になる。
自己受容と自己実現は、両立できる。ただし、順番がある。
人生というものが、大きな海を渡る航路だとするなら、船は「肉体」、船長は「魂」、コンパスは「心」に例えることができる。そして付け加えるなら、その船を動かす燃料となるのは、「習慣」と呼ばれるものなのかもしれない。
11月1日は、あの快速馬の命日だ。20年前の今日は日曜日だった。
靴磨き。今まで気が向いたら磨く、くらいしかしていなかったけれど、とても自己肯定感の上がる習慣だと思うので、続けてみようと思う。
また遊びたいな、と息子が呟いた。私はそれを聞いて、ペダルを漕ぎながら確信をもって答えた。ああ、また会えるさ。
岡山県の「酒囲屋本店」さんを訪れたので、その訪問記を。 仕事で訪れた岡山県、実は人生初の訪問。名古屋からだと新幹線で1時間40分ほど、東京までと同じくらいの時間というのが意外だった。 駅前には、桃太郎の銅像が。 お供を連れて、鬼退治に出かける…
何気ない日常に落ちている奇跡を見つけ、拾うこと。その過程を、人は癒しと呼ぶのだろう。
悲しい報せを聞くと滲み出てくる、20代の苦い記憶。私の宿痾のようなものなのだろうか。
自分を信じることに、根拠なんて求めなくていい。ただただ、自分を信じること。ただただ、自分を信じること。
「何を信じるか」ということは、その人の人生の前提をつくります。そして大切なのは、何度でもそれは選び直すことができるということです。
堀江貴文さん著「ゼロ ~なにもない自分に小さなイチを足していく」を読んだので、感じたことを綴ってみたい。
その日も例年と変わらず脇役ではあったと思うが、私は笑っていたようだ。きっと、あの日の父と母と同じように。
20年前の菊花賞に寄せて、「ウマフリ」さんに寄稿させて頂きました。先頭を駆け抜けた芦毛の名馬に寄せて、亡き父との思い出を綴ってみました。
チャック・スペザーノ博士の「傷つくならば、それは愛ではない」の一節から引用したい。「自分が両親の期待どおりでないと思うのは、両親があなたの期待どおりでなかったということ」
絵本「えんとつ町のプペル」で号泣して以来、ブログやオンラインサロンで勇気を頂いている、西野亮廣さんの講演会を訪れた。生で西野さんのお話を伺うのは初めてだったが、その熱量の才能と努力には圧倒された。
今日も、季節はめぐる。戻らないように見えるそれは、大きな癒しのようにも見える。
なぜ一般的な社会通念として、男が人前で泣くのはみっともない、というような価値観が今まであったのだろう。それは、「交通ルールを守りましょう」、「街をきれいに」というような標語のように、現象面は逆だからなのかもしれない。
どうも私は、「何かがなくなってしまう」ことを極度に恐れるようだ。「なくなってしまう」ことは実は思い込みで、何もなくなったり失われたりすることはないかもしれないのに。