大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

2018-01-01から1年間の記事一覧

忘れるということは、思い出すためにあるのかもしれない 〜愛知・犬山市「お菓子の城」訪問記

愛知県は犬山市にあるテーマパーク、「お菓子の城」を家族で訪れた。

ストラディバリの全盛期は60歳を超えてからだった

アントニオ・ストラディバリは若くして弦楽器の製作者としての名声を得ていたが、彼の作品のなかでも素晴らしいのは60歳を超えてからのものだそうだ。

【ご案内】秋華賞に寄せて、ウマフリさんに寄稿させて頂きました。

今日は3歳牝馬の3冠最終戦、秋華賞。その想い出に寄せて、ウマフリさんに寄稿させて頂きました。

ちゃんと、絶望しよう。

彼我の差を認めて、今の自分の至らなさに、ちゃんと絶望しよう。

ブログが書けなくなってきたので、なぜ書いているのか内省してみる

原点に戻って、なぜブログを書いているのか内製してみようと思う。

CHAGE and ASKA「PRIDE」に寄せて

チャゲアスが好きなのだが、その中でも「PRIDE」は唯一無二の名曲だと思う。

気づけば早くなった夜の帳に思うこと

変わるようでいて、変わらない。日々変わり続けることが、変わらないこと。

不安と大切なものの関係 〜映画:「皇帝ペンギン」に寄せて

2005年公開のフランスの映画、「皇帝ペンギン」。私は小さい頃からペンギンが好きなのだが、この映画も公開されてからDVDを買うほどに大好きな映画になった。

真夏日、夏空、雌、寒露、金木犀

とうに10月の声を聞いて久しいのに、まるで夏に逆戻りしたかのような日だった。日本海に抜けた台風の影響なのか、真夏日に迫るような気温だった。何より、陽射しが力強い。

空の雲、地上の染み

毎年猛暑、猛暑と言っているような気がするが、今年の夏は別格に暑かった。41℃という見たこともない予想気温を幾度となく見た。日中に陽射しのあるところを歩いていると、まるで自分がローストされているようで気が遠くなりそうな暑さだった。

自分を愛するということ、価値を伝え続けるということ

どんなネガティブに見える欠片の中にも、その光の輝きを見続けるという覚悟が持てたとき、人はその言葉たちの「わたし」を「あなた」に変換するようになる。自分の鏡のような周りの人に、その価値を伝えることができるようになる。

若き日の情熱の炎はかたちを変えて 〜ブラームス、ピアノ・トリオ第1番、第1楽章に寄せて

ブラームスの音楽に寄せて極私的に書いてみたい。今日はピアノ三重奏曲第1番ロ長調、第1楽章。

その唯一無二かつ天下無双の才を、ナメてんじゃねえ。

表面上に見える感情と、内面に抑えつけて沈んだ感情は、それぞれの表裏陰陽を示している。結局は、どちらも自分を愛するというプロセスの裏返し。

ブラームス、ヴェンゲーロフ、ヴァイオリン・ソナタ、そして石川さゆり

ブラームスのヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調、第2楽章が好きだ。初めて聴いたのは、20歳か21歳か、その頃だったように記憶している。サントリーホールかどこかの大ホールで、マキシム・ヴェンゲーロフの演奏だった。

「答え」は自らの内側にしか、ない。

「答え」は日常の静寂の中にある。きっとあなたの、内側にある。

季節の移ろいに無常と不変を想うこと

季節の移ろいはいつも正確だ。月の満ち欠け、昼と夜の長さ、花の咲く時期、虫の鳴き声・・・いつも私たちにつねに変わり続けることと、変わらないことを教えてくれる。

ときに選択はコイン・トスのように

究極的には、とその方は呟くように言った。「コインを投げるように、人生を決めていい」その方は続けた。「むしろ、コインを投げるように、生きた方がいいんだ」

自己確信の恩恵、そして愛について

自己確信が深まると、一つの恩恵がある。わたしの偉大さに気づくと同時に、同じ神性が目の前の人に宿っていることに気づくのだ。

それが私の生きる道

これからも、私はこの曲がりくねった穴だらけのでこぼこの道の上で、それを表現し続ける。それが、わたしのいきるみち。

「自己確信」という果実は、「葛藤」を肥料にして

揺るぎない「自己確信」という果実は、「葛藤」を肥料にして。悩んで、葛藤して、不安がって、足掻いて、絶望して、諦めろ。そうすること自体も、完全で不完全な生の一部なのだから。必ず、あなたの果実は、生る。

なんだお前、もうやめちまうんか。

書け。好きなんだったら、ど真ん中を、歩け。

「何もしない静寂の時間」を自分に与える恩恵について

何もしない静寂の時間は、あるとき静かな気づきをもたらしてくれる。自分にふさわしい行動を気づかせてくれる。

菊花賞の寄稿文の序文を公開してみる。

菊花賞の寄稿文の序文を公開してみる。

陽中の陰において、己が深淵に潜りて書くことの意味を探ること

漫画「陰陽師」に影響されたタイトルをつけてみたが、今日は秋分の日。陰陽で見ると「陽極まりて陰となす」の通り、夏至から発生した陰の気がだんだん増えていってちょうど真ん中になるのが「陽中の陰=秋分」と言われる。

私にとって書くこととは、何だろう。

ここのところ、私にとって書くことととは何だろう?という問いが芽生えてきた。私は書くことで何を伝えたいのだろう?その伝えたい大切なものは、何だろう?それを、誰に伝えたいのだろう?

コンプレックスの受け入れ方と、その持つ意味について

どうやって隠そうか、見つからないようにしようかと思って悩んだ時間は、その裏側にある才能を磨いている時間だった。コンプレックスは、天から与えらえた魅力と才能なのだと思う。

続・絶望と才能はオセロのように

「絶望」も「才能」も、私自身の愛しい大切な一部に過ぎない。「白」と「黒」のオセロがひっくり返ったあと、人はそんな風景を見る。いまは「黒」としか思えなくても、大丈夫。きっとそこには色などなく、自分の大切な一部として愛せる時がくる。

絶望と才能はオセロのように

時に悲しみや辛さや、ショックや絶望に打ちひしがれようとも、絶望は才能に裏返すことができる。たとえ長い絶望の時間を経ようとも、心は死なず。ずっと自分の才能を指し示し続けている。

J.S.バッハ「ブランデンブルク協奏曲第5番 2楽章」に寄せて

J.S.バッハの「ブランデンブルグ協奏曲第5番 第2楽章」。ブランデンブルグ協奏曲の第5番というと流麗な第1楽章が有名で、私もずっとこの第1番を好んで聞いていたのだが、ここのところは嗜好が変わったようにこの第2番が心に響く。

映画:「プーと大人になった僕」に寄せて ~それは、風船よりも大切なものなの?

ディズニー映画「プーと大人になった僕」を観たので、その映画評を。