2026-01-01から1ヶ月間の記事一覧
相手を責めたくなるとき、それは自分のなかの価値観が揺らぐときであり、特に「正しさ」が揺さぶられるときです。それは、自分のなかの傷を癒すタイミングを教えてくれるものでもあります。
正しさで相手を責めるとき、その矢は自分自身にも戻ってきます。相手を責めることをやめるのは、自分自身のためでもあるのです。
相手との関係性をよくしようと思うとき、想像力は大きな要素です。目に見える言動ではなく、その裏側にある感情に目を向ける、ということができるかどうかです。
相手が感じていることを想像することは、自分と相手をつなぐ架け橋になります。ただ、それには自分が自分の感情とつながっていることが大前提となります。
相手とのコミュニケーションで問題が起こるとき、感情を共有できていないことがその大きな原因となります。そして、感情を共有するためには、自分の感情に気づいていく必要があります。
七十二候では「水泉動(しみずあたたかをふくむ)」。地の下で凍った泉の水が、少しずつ溶けていくことろされます。
時に、してはいけないことをしてしまうのも、私たち人間です。しかし、どんな行動にしても、それをする理由があり、その裏には愛があるのです。
自分が自分自身を責めることは、しんどいし、辛いことです。そのしんどいことをすることで、得られているものがあったとしたら、それは何でしょうか。
過去の自分を、いまの基準で判断しようとすると、どうしても責めたくなります。「そのときの自分は、そうするほかなった」と考える方が、自分にやさしくいられるのでしょう。
相手に愛を与えようとしても、うまくいかないことはよくあります。その結果だけをもって自分を責める必要はありません。与えようとしたことに、大きな価値があるのです。
罪悪感が強いと、相手を喜ばせてからでないと、自分は喜んでいけないように感じます。それは真実ではありませんし、自分が喜ぶことが、相手を幸せにするのです。
相手に与えようとするとき、相手が何を受けとれるのかは、よくよく振り返ってみた方がいいようです。自分が罪悪感にまみれていると、相手に愛ではなくて、罪悪感を与えてしまうのです。
七十二候では、「雪下出麦(ゆきくだりてむぎのびる)」。降り積もった雪の下で、麦が芽を出し始めるころとされます。
パートナーシップの中で、相手に与えようとばかりすると、どこかで枯れてしまうものです。与えようとすることも尊いですが、「自分を喜ばせる」という与え方もあるのです。
パートナーとは、感情を共有するものです。それゆえ、自分の感情を癒していくことができると、それはパートナーにも大きな恩恵を与えることができるのです。
新年最初は、執筆記事のご案内です。ご縁をいただきまして、競馬コラム&ニュースのウマフリ様でインタビュー記事を執筆させていただきました。