2025-09-01から1ヶ月間の記事一覧
自分に向けられた愛は、受けとらないといけないもの、と考えてしまいがちです。けれど、逆の側から考えてみると、純粋に与えられているときって、相手が受け取ったかどうかなんて、気にならないものです。
愛を受けとるには、成熟性が求められます。それゆえ、愛を受けとるタイミングというのは、その人の人生が変わるタイミングでもあるのです。
秋分を過ぎて、はっきりと「涼しい」と感じる日が増えてきました。朝、玄関を出ると「あぁ、心地いい秋の風だなぁ」と感じる日が、今週は何日もありました。
先日、「親しい人を突然亡くした悲しみから、どうやって乗り越えたんですか」と聞かれたことがありました。
手放そうとすると、「相手がどこかへ行ってしまう」という怖れが出てくるものです。けれども、距離を空けたらからこそ、受けとれる愛もあるんです。
文筆家・心理カウンセラーの大嵜直人のブログにお越しいただき、誠にありがとうございます。10月度の個人カウンセリングを募集いたします。お申し込みのほどを、心よりお待ちいたしております。
執着を手放していくとき、そのプロセスで手放すのは、執着している相手とともに、自立でもあります。相手をコントロールしたい欲を手放していくことで、手放しは進んでいくのです。
暑さ寒さも彼岸まで、とは言いますが、今年はなかなかそうはならないようです。時候は「秋分」を迎えましたが、まだまだ暑さは厳しく、先週などは35度を超える猛暑日もありました。
「手放し」のプロセスが進むと、いろんな感覚が出てくるものです。「寂しさ」はその代表格ですが、その他にも、「やることがなくなった」「夜が長く感じる」というものもあります。いずれにしても、それらを急にどうこうしようとせず、そのままでいることが…
歳を重ねるということは、先ほども書いたように、身体も変化するし、心もまたいろんな経験を重ねて変化していきます。そのプロセスというのは、強さとしなやかさのバランスを取るためのプロセスでも、あるのかもしれません。
「手放し」のプロセスが進むと、寂しさを感じることがあります。それは、その対象との距離が適切に空いてきたからこそ感じるものであり、プロセスが順調な証なのです。
「手放す」と聞くと、その関係性を終わらせるようなイメージがあります。しかし、必ずしも手放したから関係性が終わるわけではなく、お互いに自由を与えるのが、「手放し」の持つ力なのです。
執着を手放せないと、どうしてもその自分を責めたくなります。けれど、それだけ好きになれた自分を誇っても、いいのではないでしょうか。
執着がきついと、どうしても「すぐに手放さないと」と思ってしまいます。けれども、手放しのプロセスは感情の解放からはじまります。だから、まずは未練タラタラでいいんです。
執着とは、選択肢が無い状態のことを指します。それを癒すのが、「手放し」です。
自分のなかに選択肢がないと感じるとき、私たちはとても苦しくなります。けれど本当は、いつでも選択肢は自分のなかにあるのです。
曇り空が多かったせいでしょうか。今週はそこまで暑さを感じることが少なかったように思います。時候はちょうど「白露」のなかごろ、七十二侯では「鶺鴒鳴(せきれいなく)」のころです。
まだ残暑がバリバリに厳しい長月のはじめ、熱田さんに参拝することができました。それにしても9月だというのに、なんなんでしょうね、この暑さ。
私にとってのビジョンとは、なんだろうと考える時間がありました。
カウンセリングのご感想をいただきました。「いつの間にか、絶対人に言えない事まで話せる自分がいました」
誰かを愛せなかったと自分を責めることもできますが、それでも愛そうとしたと、自分を認めることもできます。こうした解釈がポジティブに変わることを、癒しと呼びます。
誰かを愛せないとき、私たちは強い痛みを感じます。この痛みを癒すには、まずは愛そうとしたことを認めることからスタートするのがいいようです。
依存時代の痛みとは、自分の欲求が叶えてもらえず、自分が愛されないと感じることと思われがちです。しかし、実はそれよりも、相手の動向次第で自分が愛せなかったことの方が、深く傷つくのです。
時候は「白露」に入りました。夜の間に大気が冷え、草花や木々に朝露が見え始めるころとされます。この夜中に降りた露が白濁して見えるのが、「白露」の由来とされます。
自分自身の声を無視していると、いつしか自分とケンカしているような状態になってしまいます。自分と仲直りするには、まずは五感を開いて「感じる」ことから始めるのがいいのでしょう。
自立とは、傷つかないためにするものであり、それゆえに自分の本音を置き去りにしてしまいがちです。しかし、人が本当に傷つくのは、自分の本音を無視したときなのです。
自立を手放していくとき、自分が弱くなったように感じて、とても嫌悪感をおぼえることがあります。この嫌悪感の正体は、依存時代に置き去りにしてしまった自分の本音だったりします。
自立を手放していくプロセスのなかで、自分が弱くなったと感じることがあります。それは退化しているわけではなくて、むしろその逆で、順調な証拠なのです。
誰しも、生まれたときは豊かな感受性を持って生まれます。けれども自立をしていく過程で、それを閉じてしまうことがあります。それを再び開かせるのが、女性性の力なのです。
最高の復讐とは、自分が幸せになることです。そして、幸せとは誰かに見せるものではなく、「自分が」感じるものです。