感情を感じることは、癒しそのものであるといえます。
カウンセリングが癒しであるのは、話すことで自分の感情を感じることができるからです。
1.自分の感情を無視するのは、大きな自己否定
先日の記事では、自分の感情を無視するのは、大きな自己否定、というテーマでお伝えしました。
自分の感情を無視するのは、自己の尊厳を否定すること。 - 大嵜直人のブログ
自分の感じていることを無視したり、抑圧したりするのは、最も強い自己否定の一つです。
私たちは、自分の感じていること、自分の考え、自分の主張を、誰かに聞いてほしい、認めてほしいという欲求を持っています。
つながりの中で生きる私たちにとって、それは根源的なものだと言えます。
自分の話を誰かに聞いてもらうと、それだけで落ち着くものがありますし、スッキリしたりするものです。
カウンセリングもまた、そうした効用を持っていますよね。
しかしその反対に、自分の最も身近にいる人が、自分の言うことを聞いてくれないと、とても傷つきますし、自分がとても否定されたように感じます。
最も身近な人。
そうです、自分自身です。
自分が自分の感じていることを無視したり、耳を傾けないようにしていると、それは「自分のことなど、誰にも聞いてもらう価値もない」というメッセージを自分に投げかけているようなものです。
そうすると、自分以外の周りの人たちに接するときも、無意識に「私はそんなに価値のない人間です」という振る舞いをしてしまうようになったりもします。
それは、自分自身の尊厳を貶めることでもあり、やはりしんどいですよね。
だから、自分の感じていることに、まずは耳を傾けてみましょう、というのが先日のお話でした。
2.感じてしまったものは、しょうがない
では、なぜ感情を感じないようにしたり、無視したり、抑圧したりしてしまうのでしょうか。
一つには、頭で考えてジャッジしてしまう、ということがあります。
「こんなことで怒ってはいけない」
「自分が悲しんでいたら、はじまらない」
「同僚の失敗を喜ぶのは、人として最低だ」
…などなど、「そんなことを感じるのは、おかしい」といったように、自分の感じていることにいい・悪いといった判断を入れてしまうケースですね。
何がしかの基準があって、その基準で「感じていい感情」と「感じてはいけない感情」を仕分けしてしまっているような、そんな感じでしょうか。
でも、人間の感情って、そんな単純なものでもないんですよね。
頭で、理性でコントロールできるようなものでもないですし、「感じてしまったものは、しょうがない」という見方の方が、正しいのでしょう。
それを無理にコントロールしようとしていると、そのうちに何も感じられなくなります。
私の場合でいえば、両親を亡くしてすごく悲しかったり、寂しかったりといった感情があるのに、「泣いていたら、両親が心配する」と思い、そうした感情を避けてきたことがありました。
もちろん、その見方は一つの真実ですし、それでがんばれてきた面もあるのですが、いつしか自分の感情がよくわからない状態になってしまいました。
やはり、感情にいいも悪いもなくて、出てきたものはそのままに感じてあげる方が、人として自然なのでしょう。
3.感情を感じることは、癒しそのもの
感情に、いいも悪いもありません。
出てきたものは、そのままに感じてあげるほかない。
そして、感情はそれを感じると、その奥にある感情がまた出てきます。
ものすごい怒りを感じると、その奥からは途方もない悲しみが出てきたり。
そしてその悲しみを感じ尽くすと、少しほっとするような感じが出てきたり。
そのさらに奥には、凍えるような寂しさが出てきたり。
感情は、ちょうどミルフィーユのような、層状になっているんですよね。
そして、ある程度感じ尽くしていくと、少し穏やかな、安心した感覚を得ることができます。
カウンセリングが癒しであるのは、話すことで自分の感情を感じることができ、それだけでも癒しが進むからなんですよね。
感情を感じることは、癒しそのものといえます。
しかしその癒しを得るためには、自分自身が何を感じているのか、アンテナを立てて、耳を澄ませている必要があるのです。

今日は、感情を感じることは、癒しそのもの、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
〇大嵜直人のカウンセリングの詳細はこちらからどうぞ。
※7月度のカウンセリングは、6月23日(火)から募集開始となります。
〇カウンセリングのご感想のまとめはこちら。