大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

2020-05-01から1ヶ月間の記事一覧

最高傑作は、風と共に。 ~2020年東京優駿(日本ダービー) 回顧

2020年日本ダービー、コントレイル。そこに勝者を称える歓声はなく、ただテレビからは風を切る音が、響いていた。無観客の下、その風の音とともに私は聴いた。その強さを、速さを、美しさを。私は第87回ダービー馬誕生の瞬間を、目撃した。

書評:町田康さん著「しらふで生きる 大酒飲みの決断」に寄せて

町田康さんの著書「しらふで生きる 大酒飲みの決断」(幻冬舎刊)に寄せて。

感情は選べないが、思考は選ぶことができる。けれども。

感情は選べないが、思考は選ぶことができる。前者は揺蕩うに任せるのみだが、後者は自ら選ぶことができる。だから、後者は人に与えられた偉大な力の一つである。だからこそ、前者は人に与えられた偉大な恩恵の一つである。

誰かに言いたいことは、自分に言いたいこと、と彼女は言った。

「ほんと、誰かに言いたいことは、自分に言いたいことなんですねぇ…」

せっかくの、風薫る時候なのだから。

せっかくの、風薫る時候なのだから。たまにはマスクを外して、生命力に満ち溢れた空気を、思い切り深呼吸しよう。もちろん、ソーシャル・ディスタンスに十分注意しながら。季節が移りゆくように、日々の空気の触感や、風の薫りを楽しもう。

【ご案内】無観客で開催される日本ダービーに寄せて、ウマフリさんに寄稿させて頂きました。

今週末は、いよいよ日本ダービーです。競馬の祭典とも呼ばれる日本ダービーですが、感染症の拡大を受けて76年ぶりの無観客での開催となります。そんな異例のダービーを前に、ウマフリさんに寄稿させて頂きました。

ドラマとともに、紡がれる歴史。 ~2020年優駿牝馬(オークス) 回顧

2020年オークス、デアリングタクト。63年ぶり、史上二頭目となる無敗の二冠牝馬の誕生。ウイニング・ラン、空席のスタンドへ向かってガッツポーズを取る松山騎手。後方の位置取りから、下手に動かず馬の力を信頼しきった騎乗だった。

ふと思い出す言葉へ、手紙を送ること。

今日は、ある方の言葉を、ふと思い出した。元気にしているだろうか。その方に向けて、手紙を書いてみようと、思った。

断酒日記【567日目】 ~選んでいるのか、選ばされているのか

さまざまな選択が、自由に選んでいるように見えて、実は選ばされているのだとしたら。その思考実験は、二つの帰結をもたらす。そんな人生など、生きるに値しない。もしくは、だからこそ、生きる価値がある。私としては、後者を推したい。

仕事の質と、その人の人格はリンクするという思い込み。

ある仕事の質は、その人の人格に比例するという観念を、私は持っていることに最近気づいた。それは仕事でも当てはまるし、その人からアウトプットされるもの全般に対して、そう思っている。しかしながら、私はこの三次元の生々しい世界に生きている。

カウンセラー・Abyさんのプロフィールを執筆させて頂きました。

ご縁がありまして、執筆依頼をいただきました。今回は、人も動物も植物も幸せにするカウンセラー・Abyさんより、プロフィール文の執筆をご依頼いただきました。

夏の花は力強く、されど儚げに。

一雨ごとに、陽射しが熱を帯びるようで。陽の光の色が、日に日に夏の色になっていく。もうすぐ、立夏から小満へ。天地万物に、生命力が満ちるとき。

雨上がり、いつか見た花は夏色に。 ~愛知県一宮市「真清田神社」訪問記

一宮市は真清田神社を訪れた。私の生国である「尾張国」の「一之宮」が、この真清田神社である。ありがたいことに、いまの仕事の絡みで近くに寄ることがあり、その都度少し早めに来て、お参りさせて頂いている。

絶対美は、ドラマを越えて。 ~2020年ヴィクトリアマイル 回顧

2020年ヴィクトリアマイル、アーモンドアイ。彼女の走りが想起させたのは、あまりにも単純で、かつ、静かな感動だった。走ることは、美しい。ただ、美しい。

【ご案内】 オンライン:5/23(土)22時~ 第二回「新月の夜のオンライン朗読会」

私が執筆させて頂きました作品を、朗読いただく機会をまた頂きました。朗読いただく作品は、カウンセラー/手紙屋の宮本朋世さんのご依頼で執筆させて頂いた「神降ろし」 となります。

立夏雨情。

この時期の雨は、どこか優しい。日に日に上昇する気温に身体が堪えることも多いが、その火照りを冷ましてくれるようだ。雨に対する想いは、そのまま自分自身の状態でもある。

「私は無力である」ということの二義性について。

私には、与えられた力がある。けれど同時に、私は無力である。無力であることを受け入れたときに、人は初めて「できることしか、できない」という真実を知る。

新型コロナウィルスがもたらした行動様式と、罪悪感との相似について。

新型コロナウィルスが現れた後の世界では、罪悪感を癒し続けることが非常に大切なことように思う。それはとりもなおさず、自分の中の愛を見つめ続けるということでもある。

子どもは、親がしたくてもできなかったことを、叶えてくれる。

子どもは、親がしたくてもできなかったことを、してくれる。息子も、そして私も。

日本語の美しさの一つの要因は、語の順番である。

読んでいて美しい日本語とは何だろう、とよく考える。一つには、それは使われる単語の順番ではないかと、最近つとに思う。それは、単語の順番を入れ替えても意味が通じるという、日本語固有のものかもしれない。

蚯蚓出(みみずいずる) ~ゆっくり、歩こう。

七十二侯では、「蚯蚓出(みみずいずる)」の時候。豊かな土壌の象徴ともされる、ミミズが眠りから覚めて地上に出てくるころ。

5月10日の桜。

5月10日の、桜。立夏の雨に濡れた、小さく淡い花弁。見たいように、世界は見える。

離れて見守る、という愛の表現の仕方。

自分の中にはない、愛の表現の仕方を知ること。それは、自分の世界を確実に広げてくれる。そうして世界の見方を変えていくことを、癒し、とも呼ぶのだろう。

本気になる、全力を尽くすことへの怖れ。

本気になれない症候群、あるいは本気になることへの怖れ。誰にでも思い当たるフシがある、この耳の痛いテーマに潜む、二つの心理について考察してみたい。

断酒日記 【552日目】 ~時間を重ねるという奇跡。

考えてみれば、いまここにいること自体が、とんでもない僥倖の上に成り立っているのかもしれない。もし、そうだとしたら。時間を重ねるというのは、奇跡のようなものだとも思う。今日もまた、その奇跡のような一日が重なっていく。

書評:根本裕幸さん著『執着を手放して「幸せ」になる本』に寄せて

根本裕幸さんの新刊『執着を手放して「幸せ」になる本』(学研プラス)の書評を。この本は、タイトルの通り「執着」を「手放す」ことについて書かれた著作である。人は、もっと自由になれる。

立夏に覚える寂寥感。

お盆が終わった頃に覚える、あの夏が終わってしまった寂寥感を感じるのが、年々早くなっている気がする。今年などは、「立夏」と聞いた時点で、すでにその寂寥感を覚えた。

桜の散り様が美しいように、しおれたツツジもまた美しい。

ツツジはツツジであるからこそ、自ら花を落とせない。桜になる必要もなく、薔薇になろうともせず。しおれたその花弁をつけたまま、そこにいる。

美しき菊・盾・盾。 ~2020年天皇賞・春 回顧

2020年天皇賞・春、フィエールマン。令和最初の春の盾は、フィエールマンが「格」を見せてくれた。美しき、菊・盾・盾の三つ目のタイトル獲得。

マイ・ライフワーク・ストーリー 2020.5.2

一歩。 また、一歩と、踏み出す。 遥か彼方に見えたあの景色は、気付けばもう眼前を通り過ぎていく。 私は、また顔を上げて前を見る。 今度は、あの景色に向かって。 左足を、前へと踏み出す。 いつしか下半身は熱を帯び、背中に、腕に、汗が吹き出てくるの…