自立の人が怖れるのは、そのままで愛されてしまうことです。
それを認めてしまうと、いままでの自立のプロセスが、まるで意味のないもののようにかんじてしまうから。
けれども、自立のプロセスは間違いでもないし、誰にとっても必要なものです。
1.自立の人の怖れるもの
昨日は、自立の人が最も怖れるもの、というテーマでお伝えしました。
誰でも、最初は依存からはじまります。
この世に生まれ落ちたときもそうでしょうし、新しい環境に入ったとき、初めて恋人とお付き合いしたとき、勝手がわからず、自分ではなにもできない依存からはじまります。
それは主導権がなくてしんどいので、自分でなんでもやろうとします。
これが、自立ですね。
自立すると、自分でできることが増えていきます。
しかしその内面には、依存時代に傷ついた痛みを隠していたり、孤独を癒せないでいたりします。
自立の自信というのは、ある意味でハリボテで、その内面は依存時代の痛みでボロボロだったりするものです。
こうした自立の人が怖れるのが、愛されることなんです。
もっと言えば、愛されていたと気づくこと。
そのままで、何かをしなくても、愛されてしまうこと。
それを、すごく怖れますし、怖いんですよね。
だって、もしそれに気づいてしまったら、いままで一人でがんばってきた自分が、バカみたいに思えてしまうから。
自立の人がよく抱える、親密感の怖れは、こうしたところから出てくるものです。
2.いままの孤独は、なんだったのか?
似たようなケースが、仕事とかでよくありますよね。
途中まで作業を進めていたのに、「いや、実はそもそもの定義が違うんだ」っていうパタン。
「はぁ?それなら、最初から言ってよ!いままで作業がムダになっちゃったじゃん!」と、なりますよね。
後出してクライアントから言われて、社内のエンジニアがブチ切れるパターンですね。
だから、最初の段階で要件定義をしっかりすることがとても大切なんですが、まあ、クライアントさんは後出しするのが常ですよね笑
自立が愛されることを怖れるのも、似たような形なのかもしれません。
「えぇ?ここまでがんばらなくても、愛されていたの?」
「それなら、いままで自分が一人でやってきたことは、なんだったんだ?」
みたいに感じることも、あるのでしょう。
そりゃあ、そうですよね。
安住の地だと思っていた依存の状態を、一人で抜け出して、誰にも頼らず、弱音や愚痴を吐かず、がんばってきたわけですから。
簡単には、受け入れられないですよね。
「じゃあ、いままでの時間はなんだったの?その時間を返してほしい」
と感じることも、あるかもしれません。
3.自立のプロセスで得たもの
簡単に愛されてしまうと、いままでがんばってきた自分が間違っていたような、そんなことを感じてしまうかもしれません。
自分は間違った選択をしてきた。
自立する中でがんばってきた分、寂しさを我慢してきた分、そう感じるのも、無理はないのかもしれません。
けれども、自立のプロセスは、何も間違っていないし、それは誰にとっても必要なプロセスなんです。
だから、ある意味で、「なんだ、最初から言ってよ!」と気づくのは、誰でも通る道なのでしょう。
人生をかけて、コントをしているようですよね笑
ただ、先ほど書いたように、自立のプロセスは無駄でもないし、間違ってもいません。
自立する中で、得られたものは、たくさんあるはずです。
自分でできることが、増えたこと。
自分の足で立ち、なんでも自分でできること。
自分の力で何かをして、誰かにそれをしてあげることができるようになったこと。
寂しさを、知ることができたこと。
自立することって、ものすごく大きな恩恵を私たちに与えてくれるものです。
それは、決して間違ったものでもないですし、ただただ、必要なプロセスを歩んだだけなのでしょう。

今日は、あなたは間違えてもいないし、必要なプロセスを歩んだだけ、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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