ずっと「いい人」でいるのは、苦しいものです。
時には、自分のなかの判断をゆるめて、悪い自分を許していくことも必要なことです。
1.「許せない」と感じる裏側にある痛み
先日は、「許せない」と感じる裏側にある痛み、というテーマでお伝えしました。
「許せない」と感じるのは、過去の痛みが関係している。 - 大嵜直人のブログ
私たちが「許せない」と感じるとき、その裏側には自分自身の持っている過去の痛みと関係があります。
「許せない」相手というのは、その痛みを教えてくれているだけの存在と見ることもできます。
私たち「許せない」と感じるのは、自分にとって「当たり前」だと思っていることが、ひっくり返されたときです。
時間には正確なのが「当たり前」。
それなのに、あいつは平気で30分も遅刻してくる。
付き合う人には誠実であるのが「当たり前」。
それなのに、あの男はいけしゃあしゃあと嘘をつく。
そんな自分にとっての「当たり前」が崩されるとき、私たちは「許せん」と憤慨するのです。
こうした「当たり前」というのは、誰にとっても同じではなく、人によってその感じ方が少しずつ異なるものです。
「当たり前」だと強く感じる領域は、私たちがそれだけ強固に握りしめている観念があります。
だからこそ、その「当たり前」を反故にされたときに、「許せない」と感じるんですよね。
その「当たり前」をつくっているのは、私たちの過去の経験であり、痛みの記憶であることが多いものです。
自分が時間に間に合わなかったことで、ものすごく怒られた。
自分が時間に遅れて、大事な人を悲しませてしまった。
そうした経験をすると、「もう二度とそんなことはするもんか」と、時間に正確でいることを自分に課し、そしてそれを周りにも投影するわけです。
そう考えていくと、「許せない」人がでてきたときに、その相手をどうこうするよりも、自分のなかにある痛みを癒していくことができると、「許せない」という感覚も変わっていく、というのが昨日のテーマでした。
2.痛みと判断
さて、こうした人の心もようを見ていくと、私たちがなんらかの判断をするときには、痛みが隠れている、と見ることができます。
「判断」というのは、いい、悪いというジャッジですね。
時間に正確なのは、いいこと。
約束に遅れるのは、悪いこと。
こうした判断の根拠になるのは、私たちの観念であり、そしてそれをつくっているのは過去の痛みです。
それをしてしまったことで、大切な人を悲しませた。
それをしなかったことで、親からひどく怒られた。
それをしたことで、周りから仲間外れにされた。
そうした経験があると、次に同じような場面に出くわしたときに、「いいこと」を選ばないといけない、となるのは、ある意味で当然ですよね。
「もう、同じことは繰り返したくない」
そう思うのが自然なことですし、もちろんそれはその大切な人を想うがゆえに、という面もあるのでしょう。
だから、判断自体がどうこうではなくて、そういうものなんだな、と理解するくらいでちょうどいいのでしょう。
3.いい人は苦しい
判断自体は、二度と同じ痛みを経験したくないという防衛のためであり、責められるべきものではありません。
ただ、判断が強固になればなるほど、それは自分自身を苦しめます。
ずっといい人でいないといけないのって、苦しいですよね笑
たまには、羽目を外すのも必要ですし、ふっと気が抜ける場所が必要ですよね。
判断が強くなっている状態は、さしずめ、ずーっと仕事の戦闘モードの「オン」の状態でいるようなものでしょうか。
スーツを脱いで、お湯に浸かってほっとできる時間も、必要ですよね。
その判断自体を、捨てるわけではありません。
悪い人になりなさい、と言っているわけでもありません。
ただ、「いい人」の自分でないといけないのは、苦しいものです。
その判断のなかで「悪い」とされる自分もいて、時にはそうしてしまうこともある。
それを許した上で、じゃあ今日はどちらを選ぼうか?というくらいなれるのが、いいですよね。
判断を、緩めていくこと。
そのためには、過去の痛みと向き合い、それを癒していくことがとても大切なことなのでしょう。

今日は、ずっと「いい人」できるのは、苦しい、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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