コントロールが強いと、プロセスを楽しむことが難しくなります。
このコントロールは自立の人に特徴的なものですが、なぜ自立の人がコントロールをしたがるのかについて、お伝えします。
1.プロセスを楽しむことを阻む、完璧主義
昨日は、プロセスを楽しむことを阻む、完璧主義、というテーマでお伝えしました。
プロセスを楽しむとは、いまを楽しむこと。 - 大嵜直人のブログ
自分を変えようとするとき、あるいは何かに取り組んでいるとき、その結果を求めるのは、自然なことです。
それを目標に、がんばって取り組んでいくわけですから。
けれども、その結果にこだわり過ぎてしまうと、時にしんどくなってしまうものです。
求めた結果が出ないときや、変化が感じられないときに、自分を否定しやすくなるからです。
結果にこだわるのもいいですが、プロセスを楽しむことができると、結果までの道中も楽しむことができます。
山登りは山頂に到達することが目標ではあるけれど、その道中の風景や景色もまた、その楽しみの一つですよね。
ただ、このプロセスを楽しむことを阻むのが「完璧主義」です。
「こうでないといけない」という意識が強すぎると、そこから少しでも外れると納得がいかないわけですから、なかなかプロセスを楽しむことが難しくなります。
そして、完璧主義とは、自立の人の典型的な症状でもあります。
すべてを自分でコントロールしたい、自分が把握できる範囲に置いておきたい。
そうした自立のマインドは、プロセスを楽しむことを阻みます。
だから、自立を手放していくこと、緩めていくことが、プロセスを楽しむカギになるというのが、昨日のテーマでした。
2.自立がコントロールをしたがるわけ
さて、今日はこの自立とコントロールについて、もう少し触れてみたいと思います。
なぜ、自立していくとなんでもコントロールをしたがるのか。
それを、もう少し深堀りしていきたいと思います。
なんでも自分でやってしまうような、自立の人って、自分のルーティンというか、習慣を大切にしていることが多いものです。
この仕事は、あの仕事を片付けてから。
朝は、8時30分からこの仕事をする。
…などといった具合に。
そして、こうしたルーティンを崩されるのを、非常に嫌います。
自分の仕事もそうですし、自分の周りの人間関係においても、自分がコントロールしようとします。
自立とコントロールは、切っても切り離せないものです。
それは、なぜ人が自立するのかという点と、深い関係があります。
3.コントロールは自分を守る鎧
人は、最初は依存からはじまります。
生まれ落ちたときがそうですし、小学校に入ったときや、初めて恋人とお付き合いしたときといったように、最初は依存からはじまります。
依存とは、自分では何もできないから、誰かになんとかしてもらうしかない状態です。
親鳥が戻ってきて、餌を与えてくれるのを待っている巣穴のヒナのような、そんな感じでしょうか。
だから、親鳥が戻ってくるのが遅ければ、「え?いつ戻ってくるの…?」と不安にもなりますし、自分が望んだ餌が与えてもらえなければ「えー、少ない!」と不満を抱いたりもします。
依存は、自分の感情に揺さぶられるものです。
そして、自分が求めたものが与えられないと感じたとき、深く傷つきます。
そうすると、「もう傷つきたくない」という想いから、人は自分でやろうとします。
誰かに頼るのではなく、自分でできるように。
自立していくと、自分のできることを増やしてくれるのですが、その反面、なんでも自分のコントロール下に起きたがるようになります。
つまり、自立の人がコントロールをしたがるのは、「もう傷つきたくない」「こんな痛い思いは二度としたくない」という想いからであり、それはある意味で自分自身を守る鎧なんですよね。
もちろん、その鎧で守れたものも、あるのでしょう。
けれども、鎧をいつまでも着たままでは、重いし、疲れるし、何より誰かと親密に触れ合うことができません。
時には、その鎧を脱いで、くつろいでみること。
それが、自立とそのコントロールを緩めていくイメージなのでしょう。

今日は、自立の人が、コントロールしたがる理由、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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