自分に向けられた愛は、受けとらないといけないもの、と考えてしまいがちです。
けれど、逆の側から考えてみると、純粋に与えられているときって、相手が受け取ったかどうかなんて、気にならないものです。
1.人生が変わるのは、愛を受けとるとき
昨日の記事では、人生が変わるのは、愛を受けとるとき、というテーマでお伝えしました。
大仰な小見出しですね笑
もとは、執着と手放しのお話からでした。
執着していると、どうしてもその対象との距離を縮めたくなりますし、ずっと相手の手を握りしめていたくなります。
ただ、相手との距離感を詰め過ぎると、さまざまな問題が出てきます。
最も大きい問題の一つに、相手の愛を受けとれなくなる、という点があります。
執着した状態だと、相手がこちらに愛を差し向けてくれていても、「どうせ、こちらが手を握っているからだろう」と、受けとれなくなるんですよね。
これが、キツいんですよね。
自分にとっても、相手にとっても。
だから、執着は手放して適切な距離を空けましょう、となるんですよね。
距離を空けた分、冷静に相手を見ることもできますし、自分を見つめることもできます。
すると、いままで受けとれなかった愛が、受けとれるようになっているものです。
そして、往々にして人生が変わったように感じるときって、愛を受けとれるようになったときが多いものです。
昨日の記事では、そんなテーマをお伝えしました。
2.自分が受けとれたときが、最上のタイミング
この、愛を受けとるときには、たくさんの怖れが出てくるものです。
抵抗も、また出てきます。
よくあるのが、「いまさら受けとったところで…」といったあきらめの気持ちや、「受けとってしまったら、(愛を贈ってくれた人に対して)申し訳ない」といった罪悪感でしょうか。
非常に、あるあるな話だと思います。
けれども、決してそんなこと、思わなくていいんですよね。
愛に賞味期限があるわけでもありませんし、自分が受けとれたときが、最上のタイミングなんです。
「すべてはベストなタイミング」
という言葉もありますが、受けとれたときが、そのタイミングだっただけなのでしょう。
3.相手が受けとったかなんて、気にしないもの
もう一つ。
愛を贈るとき、それが純粋であればあるほど、相手が受け取ったかなんて、気にしないものです。
受けとったかどうこうよりも、むしろ「贈らせてくれて、ありがとう」という、愛を与えられることに喜びを感じるのが、真に与えるということなのでしょう。
だから、愛を贈られても、絶対に受けとらないといけない、と思わなくてもいいんです。
「絶対に〇〇しないといけない」と思うことほど、しんどいものもないですから。
時には、「それは、私の欲しい愛の形じゃない!」と、拒否してもいいんです。やさぐれてもいいんです。
それもまた、自由です。
その先で、受けとれることがあるかもしれませんし、ないかもしれません。
それは、分かりません。
先ほども書いた通り、受けとれたときが、そのタイミングなだけなのでしょう。
ただ、受けとれる愛が増えるほどに、豊かさとつながりが感じられるのもまた、真実です。

今日は、純粋に与えられているとき、相手が受け取ったかどうかなんて気にならないもの、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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