大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

10年後に愛を受けとることだって、あるのだから。

相手が愛を受けとったかどうかは、すぐには分かりません。

10年後に受けとることだって、あるのでしょう。

このことは、愛を与えることの本質を考えるとき、非常に大切なものです。

1.愛はそこにあることに気づくだけでいい

昨日の記事では、愛はそこにあることに気づくだけでいい、というテーマでお伝えしました。

愛は、たとえ受けとれなくても、そこにあることに気づくだけでいい。 - 大嵜直人のブログ

「自立」の人の受けとれない問題からのテーマでした。

私たちは、誰もが「依存」の心理からスタートします。

生まれ落ちたばかりの赤ちゃん、小学校1年生、部活をはじめるとき、初めてアルバイトをするとき…そこでは、周りから「与えてもらう」状態ですよね。

ただ、その「依存」の状態は、自分のほしいときに与えてもらえないことや、また自分のほしい形で与えてもらえないことが多いものです。

それで、私たちは「自分でやる!」とばかりに、「自立」していきます。

「自立」していくと、自分でできることが増える反面、孤立や孤独といった問題を抱えやすくなります。

そうした「自立」の問題の一つが、「周りからの愛を受けとれない」という症状です。

自分でなんでもやろうとするあまり、周りにしてもらうとか、助けてもらうとか、そういったことが難しくなるんですよね。

RPGでも、一人で冒険を進めるのと、パーティーで冒険を進めるのとでは、難易度は全く違いますが、「自立」は前者のようなものかもしれません。

パーティーが組めるのに、一人でクリアしようとするのは、縛りプレイの一種ですよね笑

その「愛を受けとれない」という問題を考えるときに、無理に「受けとろう」としなくてもいいんですよ、というのが昨日のテーマでした。

そこに愛があることに、気づくこと。

それだけでも、「受けとる」ことの一部なのですから。

受けとれない自分を責めるよりも、その愛に気づいた自分を、褒めてあげたいものです。

2.「受けとってほしい」という期待

さて、今日はまた逆の立場で、「愛を与える側」の視点でお伝えしたいと思います。

愛を与えるときに、覚えておきたいことです。

昨日も少しお書きしましたが、まずは相手に受けとってほしい、という「期待」が強すぎると、なかなかうまくいかないものです。

もちろん、誰しも人間ですから、そうした「期待」を完全になくすことは、できないのでしょう。

まじりっけなし純度100%の「与える愛」なんて、いつもいつもできないですから。

期待も腹黒さも打算も、ぜんぶあってこその人間です笑

ただ、そうした期待が「ない」前提で振る舞うのは、難しいですよね、という話です。

「相手に受けとってほしい」

「できるだけたくさん喜んでほしい」

「自分が期待した反応が返ってくるとうれしい」

…そう願うのは自然なことですが、こうした「期待」は、ぜんぶ自分の内側の問題であることを、自覚しましょう、という話です。

究極的には、そこに相手は関係ないんです。

相手の反応で傷つくのは、自分の問題なんです。

ちょっとほろ苦いというか、厳しい話ではありますが。

もちろん、傷つくのが悪いわけではありません。

傷ついたら、「あ、自分は期待してたんだな」と自覚できれば、それでいいんです。

その上で、「それでも、私は与えたいんだろうか」と、自分の内面と向き合っていくことができれば、それはとっても素晴らしいことではないでしょうか。

だから、まずは自分が「期待」をしていないか、という点は非常に大切な視点です。

3.受けとるのは、10年後かもしれない

自分が与えるとき、「期待」に注意する。

その上で、相手を見ていくと、いろいろと視点が変わっていきます。

相手が受けとったり、受けとらなかったり。

自分の望んだ反応が返ってきたり、こなかったり。

それは、自分と相手との愛の循環のなかでは、あまり本質的ではないんですよね。

受けとれるかどうかなんて、その相手の準備ができているかにもよります。

愛を受けとることを妨げている問題を、相手が抱えているのか、もう癒せているのか。

それによって、変わってきます。

変な話ですが、相手が愛を受けとったかどうかなんて、すぐには分からないんです。

それに、そのときは受けとれなかったとしても、1年後、10年後に受けとるようなことも、ざらにあります。

まあ、分かりやすい例でいえば、一人暮らしをしたら、実家での普通の暮らしに満ちていた親からの愛を受けとれたりしますよね。

それまでは、空気のように当たり前に思っていたのに、実はそれは愛の結晶だった、みたいな。

親からすると、それは当たり前だからなんでしょうけれども、これがパートナーシップだと、話が違ってきたりしますもんね笑

相手が愛を受けとったかどうかなんて、すぐには分からないものです。

だから、そこに基準を設けたり、期待をすることは、愛を与えることの本質からは外れたことなのでしょう。

ただ、その相手に愛を与えられた、ということ。

その相手と、いまこのときを共有できた、ということ。

そこに、喜びと感謝を感じられること。

それが、与えることの本質なのです。

今日は、相手が愛を受けとったかどうかなんて、すぐには分からない、というテーマでお伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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