「自立」の人の「与える」ことは、真の意味での「与える」ことではないといわれます。
ただ、そうだったとしても、それまで与えてきた自分を否定しないでほしいのです。
1.愛を受けとることに時間の制限はない
昨日の記事では、愛を受けとることに時間の制限はない、というテーマでお伝えしました。
人生の季節が深まるほどに、受けとれる愛もまた増えていく - 大嵜直人のブログ
「自立」の人が苦手な、愛を受けとるというテーマを続けております。
なんでも自分でやろうとする「自立」が進むほどに、愛を受けとることが苦手になります。
「自立」の前には「依存」の状態があります。
「依存」は自分では何もできないので、誰かに与えてほしいばかりの状態ですが、これがしんどいので、みんな「自立」に向かうんですよね。
「自立」していくと、できることが増えて、自分から与えられるようにはなるのですが、その反面、受けとることが難しくなっていきます。
受け取り拒否したり、そもそも気づかなかったり。
ただ、たとえそのとき受けとれなかったとしても、後からでも受けとれるんですよね。
そこに、締め切りや時間の制限はないんです。
もし、「そこで受けとってはいけない」という気がしたら、それは罪悪感の罠なのでしょう。
愛を与えてくれた人は、「いますぐに受けとってくれないと、ダメ!!」なんて、言わないでしょうから笑
癒しが進むほどに、人生の季節がめぐるほどに、自分に与えられた愛の大きさ、偉大さに気づいていくものなのでしょう。
2.真の意味での「与える」とは
先ほど、「自立」の人は与えることはできる、と書きましたが、それは半分本当で、半分は真実ではありません。
「自立」の状態での「与える」とは、自分のなかの無価値感や、あるいは愛されたいニーズの裏返しであることが多いからです。
心理的に見れば、期待もあれば、取引や犠牲、補償行為で「与える」ことをしている、と表現できるでしょうか。
だから、どこかで枯れるんですよね。
あるいは、本来喜びであるはずの「与える」ことが、苦痛になったりします。
「なんで私だけ」とか、「もうこれ以上できない」とか。
はい、私も何度となく?そんな想いになることを経験してきました。
「もう、やりたくない」といった感じで笑
「与える」ことって、素晴らしいことです。
それなのに、続けられないということは、どこかで何かがずれているのでしょう。
真の意味で「与える」ことは、「受けとる」ことが同時に起こるものです。
このあたり、ちょっと分かりづらいですよね。
「与えながら、受けとっている」とでも表現できるでしょうか。
冒頭に書いたように、周りからの愛を受けとることができるほどに、与えられるもののもまた、大きくなります。
喜びもまた、大きくなります。
だから、「自立」の人は、「受けとりましょう」というお話をいつもさせていただくんですよね。
3.それでも、与えたことを否定しないでほしい
この話の流れで、少し注意したいことがあります。
いくら「自立」の与えるが不完全なものであったとしても、いままで与えてきたこと、与えてきた自分を否定しないでほしいのです。
「あぁ、いままで自立の状態で与えてたんだな、それは偽りだったんだ」とか、
「見返り欲しさに、与えてきてしまったな」とか、
「与えることで、自分の価値を感じたかったんだな」とか、
そんな風に自分を責めなくていいんです。
見返り欲しさも、打算も、期待も取引も、どれもこれもあっての人間です。
それが、人間らしさでもあります。
それで、いいんですよね。
もしそれがないとしたら、神さまか仏さまか、あるいは歴史に残るような聖人だけなのでしょう。
もし、これをお読みのあなたが、そうした存在なら、自分を責めるのもいいかもしれませんが、そうじゃないですよね笑
むしろ、それでも「与えてきたこと」を、認めてあげてほしいんです。
そこを、否定しなくていいんです。
よく、そこまで与えてこられましたね、とねぎらってあげてほしいんです。
「与える」ことって、素晴らしいことです(本日2回目笑)
たとえ、それが取引や補償行為や期待からの行動だったとしても。
まずは、「与える」ことができた自分を、否定しないであげてほしいのです。
その上で。
もし、できることならば、「受けとる」ことを増やして、自分も相手も喜びのなかで与えられる形を探していけたら、もっと素晴らしいのではないでしょうか。
それを探すお手伝いを、私はカウンセリングの中でさせていただければと思っています。
今日は、与えてきた自分を否定しないで、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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