手厚く負けたときこそ、胸を張るように
砂を噛むようなときこそ、夢を見よう。
2018年11月30日、特急しらさぎに揺られて描いた私の物語を、ここに残しておこうと思う。
図らずも「ギフト」の月、その最後の日だった。
どう生きたいのか。
ひいては、どう死にたいのか。
これからも、問い続けようと思う。
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5月の末の日曜日。
新横浜で乗った下りの東海道新幹線は、多くの乗客で賑わっていた。
手提げ袋を沢山抱えた若い旅行客たちや、世界一有名なネズミの顔をした風船を持った家族連れが目に留まる。
府中にある世界一の大人の遊園地から帰宅する私も、同じように今日のレースの感動と、祭りのあとの寂寥感をその胸いっぱいに抱えていた。
風薫る新緑の季節。
生命力あふれる若駒たち。
2400mの彼方に、全てのホースマンの夢。
やっぱり、ダービーは、いい。
ドアが閉まり、ゆっくりと新横浜の駅が流れていく。
さて、明日は何を書こうか。
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いつも書くことを考えると、私は3年前に聞いたあの言葉を思い出す。
「ものを書く」ということには、
「覚悟」が要ります。
あれから、「覚悟」というものを探してきたように思う。
「書く」ということに必要なのは、
才能でも技術でも想像力でも経験でも努力でもなかった。
「自分がどう在りたいか」、という覚悟。
それは、ある日突然バンジージャンプを飛ぶように決まるものではなかった。
肚を括る、というのは
点や線ではなく、面だった。
何を書きたいのか。
何を伝えたいのか。
誰に伝えたいのか。
なぜ、書きたいのか。
なぜ、伝えたいのか。
そしてそれは、
ほかの誰かを傷つけることがあったとしても、
伝えたいものなのか。
「言葉にする」ということは、
世界を分断し切り分けること。
その切り分けるという本質は、
ときに誰かを傷つける。
それでも、書きたいのか。
やわらかな安住の地を捨てても、
無人の荒野を往くとしても、
表現したい熱量は、
自分の中マグマの如くあるのか。
その問いかけと答えを、日々自問してきた。
そして、恐らくそれが私のライフワークの一つだ。
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以前は書けなくなることに怯え、間欠泉のようにときおり吹き出す血しぶきを慌てて拭き取るような書き方だった。
けれど、その問いの純度が上がれば上がるほど、「書くこと」への怖れは少なくなってきた。
立ち聴きしたものを文字起こしするように書くようになった。
酒か何かに頼って書くのを辞めた。
例外なく、毎日ブログを書き、そして物語を2000字ずつ書いていくと決めた。
もちろん、周りが気になったりして書けない時もある。
そんなときは、ただ目を閉じて内省するだけでよくなった。
私には、足りないものは何もなかった。
すべて、必要なものは与えられていた。
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今日の感動を胸に、明日もまた物語を紡ごう。
愛する妻に捧ぐ物語を。
素晴らしきかな、人生。
素晴らしきかな、我がライフワーク。
素晴らしきかな、ともにライフワークを生きる仲間たち。