大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「見捨てられる」という不安や怖れについて。

「見捨てられる」という怖れは、見捨てられたという経験からくるものが多いものです。

しかし、それと同じくらい、「自分を理解してくれる人がいなくなる」という怖れもまた、大きいものです。

1.「見捨てられる」という怖れについて

今日は、少し「見捨てられる」という怖れ、というテーマで書いてみたいと思います。

先日、カウンセリングのなかで「見捨てられる不安、怖れ」というお話がありました。

パートナーから見捨てられる怖れや、会社やクラブといったコミュニティから見捨てられることへの怖れとして、出てくることが多いですよね。

「彼女に見捨てられたら、生きていけない」

「この会社しか、居場所がない」

といったように。

こうした「見捨てられる不安」は、なにがしかの原体験があって、そこでものすごくつらい、寂しい、悲しい思いを経験したから、もう二度とそんなことにはなりたくない、という怖れが引き起こされることが多いものです。

その原体験は、多くの場合は家族、特に両親との関係性のなかで経験するものです。

もちろん、いつも面倒を見てもらっていた祖父母との関係だったりもしますが、やはり関係の一番近しい存在からの「見捨てられる不安」というのは、強烈なものがあります。

それは、そうですよね。

依存的な立場で、小さな無力な存在だった私たちにとって、保護してくれる存在がいなくなるというのは、まさに生きるか死ぬか、というくらい強烈なものになります。

こうした「見捨てられる不安」は、大人になって自立していっても、心の奥底に刻み込まれていて、なにかの拍子で顔を出してきます。

パートナーシップで、こうした「見捨てられる不安」を覚えると、「やられる前にやる」とばかりに、自分から距離を置いたり、その不安を相手にぶつけてしまったりすることがあります。

これ、多くの方が思い当たる節があるのではないでしょうか。

私の場合は、圧倒的に前者の「自分から距離を置く」傾向が強いです笑

こうした不安を癒していくのは、自分が愛されていたことをもう一度受け取り直す、というアプローチが有効なのですが、今日の主題はそこではありません。

前座が長いですね笑

2.「自分を理解してくれる人がいなくなる」

「見捨てられる不安」の一つとして、「自分を保護してくれる、愛してくれる人がいなくなる」という不安があります。

それが、先ほどお書きした通りですね。

しかし、もう一つ、大きな不安の種類があります。

それが、「自分を理解してくれる人がいなくなる/いない」という不安です。

このあたり、少しデリケートなんですが、「理解されない」というわけでは、ないんです。

周りともうまくやれるし、周りの人に対しても共感できる。

けれども、どこか、自分の心の底にある部分、そこが通じていないような、そんな感覚。

同じ日本語で話しているんだけど、どこか違う言語のような感覚。

魂の形が、どこか違うような感覚。

こう書くと、なんだかイタイ奴のように聞こえるかもしれませんが、そうではないんですよね。

表現が難しいのですが、言葉は通じるし、コミュニケーションも人より円滑だし、なんならいろんな人に頼られる…けれども、心のなかに孤独を抱えている人って、いるんです。

自分の見ている世界が、どこか周りの人のそれとちがう。

理解してもらおうとする努力が足りないとか、そういうものともまた、違う。

何をしていても、自分が異邦人のように感じる。

でも、相手の感情を感じ取ることはできるから、コミュニケーションは円滑にとることができる。

ただ、自分のなかにある、この感情、この風景、この美意識、このわだかまり…そういったものが伝わる感覚が、ない。

自分を理解してくれる人が、この世にいないというのは、あきらめに近い絶望に至ったりします。

3.どこかにいる、という希望

究極的に言えば、自分が自分を理解してあげることができれば、それは解決することなのでしょう。

もちろん、心理的にもそうしたアプローチをとることが多いものです。

まずは、自分が自分を理解し、受け止め、愛し、許す。

はい、ここでも、いつもそのアプローチをご紹介しています。

ただ、それはもう究極の究極の話で、なかなか現世を生きる私たちが、それを完全にできるかといえば、それは、ねぇ笑

自分で完結するのもいいんですが、やっぱり、せっかくこの三次元の世界に生きているわけですから、生身の誰かに理解されたいじゃないですか。

それは、そうですよ笑

大切なのは、もちろん自分が自分を理解しようとすること。

もちろん、そのアプローチは続けていきたいものです。

その上で、自分を理解してくれる人が、この世のなかのどこかにいる、という希望を持っても、いいんじゃないかな、と思うのです。

たとえ、いままで、その人に出会えなかったとしても、未来はどうなるか分かりません。

この世のどこかにいる、かもしれない。

もちろん、その人と出会えるかどうかは、わかりません。

ただ、未来はどうなるか分からないんですよね。

「いない」と絶望することと、「いる」と希望を持つことは、同じコインの裏表です。

そもそも、「理解してくれる人がいなくなる」ことを怖れ、絶望する人は、それくらい、自分を理解してくれる人と出会いたいという想いを持っているのですから。

その想いを、少し信じてみてもいいんじゃないかな、と思うのです。

今日は、「見捨てられる」という怖れについて、というテーマでお伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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