大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

木蓮の花を愛でる、春分のころ。

時候は「春分」を迎えました。

昨年12月の冬至から徐々に長くなってきた昼の長さは、春分を迎えてちょうど夜の長さと同じまでになりました。

気が付けば、夕方の6時を過ぎてもまだ明るくなってますよね。

朝も、私がお散歩する6時台の時間には、もう完全に日が昇っていますし、早いものですよね。

春分の日は、「国民の祝日に関する法律」によると「自然をたたえ、生物をいつくしむ」とされています(第2条)。

昼と夜が同じ長さになるこの節目の日に、自然や生き物を慈しみましょう、というところでしょうか。

ピラミッドなどの古代の建造物でも、この春分や秋分を意識した構造になっているものがあるそうですよね。

古代から、私たち人間にとって大切な節目の日とされてきたのでしょう。

七十二侯では「雀始巣(すずめはじめてすくう)」。

スズメが営巣を始める時期とされますが、最近は生態系が変わってきたのか、スズメを見かけることが少なくなったように感じます。

「舌切りスズメ」など昔話にもよく出てくるスズメですが、これをお読みのあなたの周りでは見かけますでしょうか。

 

春分を迎え、桜の開花宣言が聞こえてくる頃にもなりました。

桜だけに限らず、多くの花が開く春。

その開いた花を見ると、春の訪れの喜びを感じられるようです。

そんな春の花ですが、ここのところは木蓮の花に惹かれます。

家の近所の公園に木蓮の木があるのですが、その木蓮も一斉に咲きはじめました。

少し前に見に行ったときは、まだ蕾の状態で、「もう少しかかりそうかな」と思っていたのですが、先日訪れたところ、もう満開でした。

その変化の速さ、そして見事さは、呆気にとられるくらいでした。

木蓮の花は、いいですね。

どこか、原始的というか、ものすごく生命力に満ち溢れていながら、それでいてその白色は、どこまでも透き通っているようです。

その香りもまた、いいんですよね。

数日後に訪れると、その木蓮はもう散り始めていました。

桜は散り方が美しいとは言いますが、木蓮の散り方もまた、いいんですよね。

純白だったその花弁が、少しずつ茶色が混じってきて。

汚れていくようにも見えるのですが、それもまた美しく感じます。

役目を終えた花弁が、木蓮の木の周りを埋め尽くすのもまた、美しいものです。

今年もまた、そんな木蓮の花を愛でることができて、何よりでした。

さて、春も本番です。

麗らかな日差しの下、あなたの周りではどんな花が咲いてきたでしょうか。

どうぞ、ご自愛くださいませ。