ありがたいことに、今週は執筆のお仕事が盛りだくさんでした。
納期がタイトなものもありましたが、そういうものですよね。
昔、私の好きなアーティストの方が、
「製作過程のなかで、あともう少し時間があれば、と思うことが何度もありました。けれども、締め切りという時間の魔法がなければ、このアルバムは完成しませんでした」
というようなニュアンスのことを仰っておられたのを、思い出します。
まさにそうだなぁ、と感じます。
時間があればやれると思いがちですが、時間があってもやらないんですよね笑
結局、「ここ」という締め切りがあるからこそ、それに向けて整えることができるようです。
執筆に限らず、人の生というのも、同じなのかもしれません。
さて、執筆しながら、いつまでこうして書かせてもらえるのかな、と感じます。
AI全盛のこの時代に、人間が文章を書く意味って、なんだろうと考えるのです。
いまのところ、私のこのブログはAIをまったく使っていませんが、どうなんでしょうね。
「クリエイティブな仕事はAIに代替されない」と言われていたのが、いまや映画みたいな動画までもAIで全部つくれちゃうようですから、世の中は分からないものです。
文章を書くことの価値も、そりゃ落ちるよな、と思うのです。
そうなると、速さや頑丈さといった有用性で争っても仕方がないので、やはり最後に残るのは意味を変えることしかないのでしょうか。
情報を伝える、まとめるといった役割は、もうAIには敵わない。
そんな時代に、人が文章を書く意味って、何があるんでしょうね。
「生身の人間が書いている肌感」でしょうか。
それも、なんだか違うような気がします。うまく言えませんが…
まあしばらくは、こうしてぱちぱちとキーボードを叩いて、その意味を探してみたいと思います。