大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

ゆっくりとした春の訪れ、人もまたそれにあわせた歩みを。

時候は「春分」を迎えたのに、どうも寒の戻りなのか、寒いですね。

今週半ばは、東京でも雪が降ったようで。

ちょうど、その前日に上京していたのですが、確かに風が冷たくて3月の下旬とは思えないようでした。

名古屋に戻ってきても、ずいぶんと風の冷たい日が続いています。

3月の上旬は、もっと暖かかった気がするのですが、春とはこういうものなのでしょうね。

 

七十二侯では、「雀始巣(すずめはじめてすくう)」のころ。

スズメが巣作りを始めるころの時候とされますが、最近はスズメを見かけることが少なくなった気がします。

私が子どものころの記憶では、もっとそこらじゅうにいたような気がしますが、最近見かけるのはハトかカラスか…といった感じです。

住んでいるところの違いなのか、どうなのでしょうね。

七十二侯では、次の時候が「桜始開(さくらはじめてひらく)」。

いよいよ、各地から桜の開花宣言が聞こえ始めるころの時候ですね。

ここ数年は、例年よりも早い開花が続いていたのですが、今年は平年通りくらいなのでしょうか。

私の近所の川沿いの桜も、まだもう少し時間がかかりそうです。

この時期は、いろいろと心がせわしなくなるものです。

「桜は咲いただろうか?」もそうなのですが、私の好きな木蓮の花も、この時期に咲くので、その開花が気になるのです。

世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし

かの在原業平が詠った通りのようです。

もし、世に木蓮という存在がなければ、「木蓮は、そろそろ咲くかな?」という春のせわしなさもなくなるのでしょう。

けれど、せわしなくあったとしても、やはり木蓮が、そして桜が咲く春がいいものです。

表面上は心の平穏を求めていても、ざわざわするような喧噪を求めるのもまた、人間らしさなのでしょうね笑

 

それにしても、この春は寒の戻りが厳しいというか、ゆっくりとした歩みのように感じます。

桜も、木蓮も。

咲く姿をゆっくりと楽しんでくださいね、といった感じなのでしょうか。

せわしくやってくる春もいいものですが、こうして「まだか、まだか」と待つ春もまた、いいものです。

自然の流れがそうなのですから、私たち人の歩みもまた、それに合わせるのがいいのでしょう。

ゆっくりとした春の訪れ。

ゆっくりと咲く花たち。

わたしたちもまた、ゆっくりと、その歩みを楽しんでいきましょう。

まだまだ、暖かかったり、寒かったりします。

気温の変化というのは、思っている以上に身体の負担になっていたりもします。

どうぞ、ご自愛くださいませ。