この世界のどこかに、「真実のパートナー」は存在するのでしょうか?
そんな問いを、考えてみたいと思います。
1.パートナーシップという研磨剤
昨日の記事では、パートナーシップという研磨剤、というテーマでお伝えしました。
パートナーシップという研磨剤 ~その葛藤は、人間性をゴシゴシ磨いてくれる - 大嵜直人のブログ
パートナーとの関係は、多くの喜びを与えてくれるものです。
愛される喜び、愛する喜び。
一緒にいて落ち着く安心感、あるいは、ワクワクする感じ。
たった一人でも、自分を理解してくれる人が、この世界の中にいるという喜び。
身体を重ねる喜び。
実にさまざまな喜びを、パートナーシップは与えてくれるものです。
けれども、その関係が長くなるにつれて、相手とぶつかったり、不満が出てきたり、時に絶望したりすることがあります。
そうした葛藤は、もちろんしんどいものですが、それは自分自身の人間性を磨いてくれる研磨剤のようなものととらえることができます。
葛藤すればこそ、自分と向き合うことにもなりますし、自分の価値や才能といったところに目を向けることもできます。
パートナーシップのなかで葛藤したり、悩んだりすることは、決して悪いことではなくて、ある意味でチャンスなんですよね。
何のチャンスといえば、自分自身を磨くチャンスです。
自分の人間性を深め、可能性を広げていくことのできるチャンスです。
パートナーシップで思い悩んでいるとき、誰でもしんどいものです。
けれど、もしかしたらその葛藤は、自分自身を磨いてくれる研磨剤のようなもの、と考えると、また違った景色が見えてくることもあるのでしょう。
昨日の記事では、そんなテーマをお伝えしました。
2.葛藤するのは、真実のパートナーではないから?
今日は、こうしたパートナーとの関係で起こる葛藤について、もう少し考えてみたいと思います。
パートナーとの間に何らかの葛藤があるとき、どうしても「相手が悪い」、あるいは「自分と相手の相性が悪い」と考えてしまったりします。
ときには、いろんな占いなどで、相性を調べてみたりもしますよね笑
この考え方を突き詰めていくと、世界のどこかには「真実のパートナー」がいて、そのパートナーと出逢うことができれば、すべてうまくいく、と考えることもできるかもしれません。
それが正しいのかどうかは、残念ならば私にはわかりません。
「真実のパートナー」に出逢うことができ、パートナーシップを築いている人も、この広い世界のなかにはいるかもしれません。
「あぁ、この人は真実のパートナーなんだ」と、喜びを深く感じることができること。
それは、とてもうらやましいことですけれどね笑
でも、その逆は真実ではないと思うのです。
「葛藤や衝突があるから、その人は真実のパートナーじゃない」というのは、違うのでしょう。
心の世界から見ると、「真実のパートナー」とは出逢うものではなく、目の前のその人を「真実のパートナー」にしていくプロセスなのでしょう。
それも含めて「出逢う」と表現するなら、そうなのでしょうけれども笑
3.本来の自分に近づくと、それをパートナーに映し出す
心の世界から見れば、パートナーは鏡です。
もっとも色濃く自分自身を投影するのが、パートナーといえます。
それゆえ、自分が自分の価値や魅力を認め、自分を愛することができるほどに、パートナーにそれを映し出すのです。
そういった意味では、「真実のパートナー」を求めるならば、自分自身が真実の姿というか、本来の姿に近づく必要があるのでしょう。
何か役割を演じていたり、自分の魅力を隠していたり、気づかないふりをしていたり。
あるいは、何か無理をしていたり、犠牲をしていたり。
罪悪感といったような、何か重荷を背負っていたり。
そうしたことを、一つずつ癒していくことで、本来の自分が立ち現れてくるのでしょう。
もし、「真実のパートナー」がいるとするならば。
それは自分自身が本来の姿、真実の姿に近づくことで、出逢えるものなのでしょう。
もしかしたら、それはまだ見ぬ相手かもしれませんし、いま目の前にいる人なのかもしれません。
それはきっと、プロセスを進めていく中で、わかることなのでしょう。
今日は、パートナーシップの相性、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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