大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

それでも与えようとした自分を、否定しなくてもいい。

まずは、自分を大切にすることが、自分も相手も幸せにする原則です。

けれども、もしそうできなかったとしても、そのことで自分を否定しなくてもいいんです。

1.なぜ、まず「自分」なのか

昨日の記事では、なぜ、まず「自分」なのか、というテーマでお伝えしました。

自分をないがしろにしていると、何をしても相手に罪悪感を与えてしまう。 - 大嵜直人のブログ

相手に与える、尽くす、いたわるといったように、何かしてあげようとするとき。

考えてみたい順番があります。

それは、まず「自分」を大切にできているだろうか、という点です。

たとえば、ものすごく不健康そうなお医者さんに診てもらうと、「いや、先生大丈夫かな…」と気が気じゃなくなってしまいますよね。

あるいは、カウンター越しに料理している大将が、すごく体調悪そうだと、食事もあまり楽しめないですよね。

私たち自身が満たされていないと、誰かに与えようとしても、なかなかうまく受け取ってもらえないんです。

与えているのが、喜びではなくて、罪悪感になってしまうわけですね。

「なんだか、そこまでしてもらって、申し訳ないな…」といったように。

だから、「まずは自分」なんです。

自分が満たされてこそ、周りの人に与えることができる。

これ、与えることのなかで、最も大切な原則です。

2.それでも与えようとした自分を、否定しなくていい

自分がいっぱいいっぱいだったり、自分が傷ついていたり、自分の体調が悪かったり…

そうしたときに与えようとすると、自分もしんどいし、相手もうまく受けとれないものです。

そうすると、「せっかく、ここまでしてあげてるのに…」と悲しくもなりますし、「もう、これからはしてあげない!」と腹を立てることだって、あるのでしょう。

これをお読みのあなたさまも、そんなご経験があるかもしれません。

私も、すごく思い当たる節があります笑

でも、これって悪いことじゃないんですよね。

いや、自分がしんどいはしんどいんですけれど、だからといって、それが「してはいけないこと」とか、「相手に罪悪感を与えてしまった」とか、そんな風に自分を責めなくても、いいんです。

ただ、順番が少し違っただけ。

そんなくらいで考えた方が、いいんです。

そこに、いいも悪いもありません。

うまく与えられなかったことを理由に、自分を責めなくても、いいんです。

3.影と光

たしかに、その与えようとした試みは、望んだとおりにならなかったかもしれません。

相手にうまく伝えたり、受けとってもらえなかった。

自分もまた、それでしんどいし、余計に傷ついた。

そうした結果であったとしても。

その与えようとした試み自体には、価値を見てあげてほしいんですよね。

少なくとも、自分自身では。

順番が違ったとはいえ、自分が傷ついていたり、疲れたりしているのに、相手の方を優先しよう、先に与えようとするのは、悪いことではありません。

むしろ、「よく、そこまでできましたね」と、自分をねぎらってあげることが、大切なことではないでしょうか。

だって、たとえばとても大切な友人が、同じように、その友人自身よりも、誰かを優先して与えようとしていたとしたら、どんな言葉をかけてあげたいですか?

はい、ダメ出しをするよりも、「よくがんばったね」「誰でもできることじゃないよ」と、そういった言葉をかけてあげたいですよね。

自分自身に対しても、同じです。

「まず、自分を大切に」

それは、間違いありません。

けれども、それができなかったとしても。

そのできなかった自分を、責めることはないんです。

むしろ、責めるよりも、そうまでして与えたかった自分自身を、ねぎらって、いわたってあげてください。

それが、自分を大切にする、ということなのでしょう。

今日は、それでも与えようとした自分を、否定しなくてもいい、というテーマでお伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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