大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

人の縁とつながり

誕生日は、与える日。

今日は、私の39回目の誕生日でした。SNSやレターポット、手紙を通じて、たくさんのお祝いのメッセージを頂きました。ありがとうございました。

蝉の声、故人の声。

緩んでふっとした瞬間に、在りし日の故人の声が聞こえる。なんだ、ここにいてくれたんだ。それは、故人がいなくなってしまったわけではなく、いつもどこかで一緒にいることの証明のように思えるのだ。

オクラすくすく、カブトムシなむなむ。

アスファルトから立ち上る熱気は、湿気を含んで殊更暑かった。夏、本番だな、と思った。

誰かにしてほしかったことは、誰かにしてあげるといいこと。

誰かにしてほしかったことは、誰かにしてあげることで、癒されるようだ。

ディープインパクトの死に想うこと。

今年の5月の末、夏のような陽気の下でディープインパクトの血が爆ぜるのを観られたのは、僥倖だった。謹んで、ご冥福をお祈りいたします。

何も先のことを何も考えずに18万を貯めたあの頃。

ふと、あの夢に出てきた友人の憂いを持った顔が気になった。きっとまた会えるのだろう、と思いながら私はケースを閉じた。

とてもしあわせな夢を見た気がした。

とてもしあわせな夢を見た気がした。まどろみの中から出たのか、それとも夢うつつの中にいたのか、判然としなかった。けれど、なにかしあわせな満たされた感覚だけは確かなようだった。

才能とは、絶望しないこと。

才能とは、絶望しないこと。それは言い換えるならば、結果に、固執しないこと。ただ、やり続けること。その行為の中に、喜びを覚え続けること。好きという情熱に、降参すること。

運動会に感じた違和感と、その正体について。

がんばれ、がんばれ。周りなんて気にするな。ただまっすぐに、自分のレーンを走れ。そのまま、駆け抜けろ。

乗っている人の想いを乗せて。

それでも、私は書きたい。書き続けたい。

「神降ろし」

霧が、晴れた。 女 は、そういえば今日だったな、と思った。 「大きな川」を意味する名を持つこの村の、奥深く。 その名の通りの「大きな川」は、時の流れと同じように滔々と今日も流れる。 大きな白い帽子を被った山々は、今朝も雄大にそびえ立つ。 そのさ…

誰かに「与える」とは、意識しなくても「与えてしまう」もの。

ほんとうに誰かに「与えている」ときというのは、意識しなくても「与えている」状態なのかもしれない。「与えること」とは、メソッドで表せる何かではなく、在り方なのかもしれない。

断酒日記【242日目】

新しいことにチャンレンジする、ということ。それは「成功も失敗も含めた経験を得られる」という恩恵を与えてくれる。そしてその延長線上に、「同じ経験をした、あるいは経験をしている人の気持ちが分かる」という大きな恩恵があるようだ。

水無月の終わりと、いくつかの別れについて。

水無月の終わりとともに、訪れたいくつかの別れは、私にその寂しさの理由を教えてくれたような気がした。まだ、しばらくぐずついた空は続くようだった。

捕っては投げ、投げては捕って。

一年で一番遅い時期のはずだけれど、あっという間に日の入りを迎えた。少し、寂しさが癒された気がした。

写真が嫌いだった、あの頃。

写真が嫌いになったのは、いつからだったのだろうと思う。幼い頃の写真が数えるほどしか残っていないのは、私が三番目の子どもだったからなのか、それとも実家を整理したときに失われたからなのか、いまとなっては分からない。

もっと、好きなことに、無心で。

もっと、好きなことに、無心で。それが見つからなければ、何でもひたすらにやればいい。ただ、ひたすらに自らの心震わせ、喜ばせることに夢中に。

頑張ることの価値と、人生における幸せの関係。

青い空の色、白い雲の形、緑色の深み…ただ目の前の奇跡のようなその美しさに、感動する童心。それがあれば、もう何もかもそれでいいんじゃないかと思うのだ。

きななソフトの味。懐かしい、優しい味だった。

大将のソフトの味がした。きななソフトの味。懐かしい、優しい味だった。 美味しかった。「ふと」気になったこと、「ふと」気になった人、そんな「ふと」を大切にしようと思った。

別れと紫陽花と。

もうすぐ、梅雨がやってくる。また季節はめぐり、新しい花を咲かせる。心なしか、風は湿っぽいようだった。

受け取る、受け取らないを超えて。

ただ、それを伝えたいから。それを相手がどう受け取ろうとも、伝えたかったから。ただ、「私は」そう思った、と。もしかしたらそれは、「無償の愛」と呼ばれるものなのかもしれない。

母の日百景。

人の数だけ、母親に対する想いがある。そして、その想いは「おかあさん、ありがとう」という十文字を素直に言える人たちばかりではない。

クリスタルボウルの音色との再会と、309号線の追憶。

なぜ、根本理加さんのクリスタルボウルの音は、記憶の底に沈んでいたイメージを呼び覚ますのだろう。不思議だ。

京都東インターからの渋滞で柑橘類の残り香に想うこと。

「ありがとうございます、嬉しいです」人から好意を伝えられたとき、称賛を受けたとき、長所を見てもらったとき、ニッコリ笑ってそんな言葉を伝えられたら、どんなにいいのだろう。

さて、それは誰に向かって言っているのかな?

子どもの日のはずなのに、親がギフトをもらってしまったな、と思う。いつもそうだ。与えるつもりが、逆にその何倍ものギフトを与えられている。

保育園の先生に伺った子育ての話が、結局大人の私に必要な話だった件。

息子と娘が保育園を卒園して、1か月が経った。その中で、何度か女性の先生とお話しすることがあったのだが、深い、惹きこまれる瞳をされていた。もう少し詳しくお話を聞いてみたいと思い、御礼かたがたお伺いして、お話しする時間を頂くありがたい機会を頂…

「昭和の日」に父を想うこと。

生きるとは、愛された記憶をたどる旅。その記憶を一つ取り戻すたびに、人はまた自由になる。

音の記憶、愛された記憶 ~20年ぶり以上のナゴヤ球場 再訪記

車を停めて、息子と娘とビルの上から見えるバックネットを頼りに球場を目指す。20年ぶり以上に、ナゴヤ球場へ中日ドラゴンズの試合を観に来た。

ツルさんと休まず仕事をした2カ月半。

あんなにも休まなかったのは、私がワーカホリックで犠牲もしていたのかもしれない。けれど、毎日やって来るツルさんが、好きだったんだろうな、とも思う。

小さな自分とキャッチボールをして寂しさが癒された春の日。

息子の望みを叶えたと思っていたら、 望みを叶えられていたのは私の方だった。花粉の季節もピークは過ぎたのに、どうも涙腺が緩くなる、そんな春の日だった。