人の縁とつながり
今日は、私の39回目の誕生日でした。SNSやレターポット、手紙を通じて、たくさんのお祝いのメッセージを頂きました。ありがとうございました。
緩んでふっとした瞬間に、在りし日の故人の声が聞こえる。なんだ、ここにいてくれたんだ。それは、故人がいなくなってしまったわけではなく、いつもどこかで一緒にいることの証明のように思えるのだ。
アスファルトから立ち上る熱気は、湿気を含んで殊更暑かった。夏、本番だな、と思った。
誰かにしてほしかったことは、誰かにしてあげることで、癒されるようだ。
今年の5月の末、夏のような陽気の下でディープインパクトの血が爆ぜるのを観られたのは、僥倖だった。謹んで、ご冥福をお祈りいたします。
ふと、あの夢に出てきた友人の憂いを持った顔が気になった。きっとまた会えるのだろう、と思いながら私はケースを閉じた。
とてもしあわせな夢を見た気がした。まどろみの中から出たのか、それとも夢うつつの中にいたのか、判然としなかった。けれど、なにかしあわせな満たされた感覚だけは確かなようだった。
才能とは、絶望しないこと。それは言い換えるならば、結果に、固執しないこと。ただ、やり続けること。その行為の中に、喜びを覚え続けること。好きという情熱に、降参すること。
がんばれ、がんばれ。周りなんて気にするな。ただまっすぐに、自分のレーンを走れ。そのまま、駆け抜けろ。
それでも、私は書きたい。書き続けたい。
霧が、晴れた。 女 は、そういえば今日だったな、と思った。 「大きな川」を意味する名を持つこの村の、奥深く。 その名の通りの「大きな川」は、時の流れと同じように滔々と今日も流れる。 大きな白い帽子を被った山々は、今朝も雄大にそびえ立つ。 そのさ…
ほんとうに誰かに「与えている」ときというのは、意識しなくても「与えている」状態なのかもしれない。「与えること」とは、メソッドで表せる何かではなく、在り方なのかもしれない。
新しいことにチャンレンジする、ということ。それは「成功も失敗も含めた経験を得られる」という恩恵を与えてくれる。そしてその延長線上に、「同じ経験をした、あるいは経験をしている人の気持ちが分かる」という大きな恩恵があるようだ。
水無月の終わりとともに、訪れたいくつかの別れは、私にその寂しさの理由を教えてくれたような気がした。まだ、しばらくぐずついた空は続くようだった。
一年で一番遅い時期のはずだけれど、あっという間に日の入りを迎えた。少し、寂しさが癒された気がした。
写真が嫌いになったのは、いつからだったのだろうと思う。幼い頃の写真が数えるほどしか残っていないのは、私が三番目の子どもだったからなのか、それとも実家を整理したときに失われたからなのか、いまとなっては分からない。
もっと、好きなことに、無心で。それが見つからなければ、何でもひたすらにやればいい。ただ、ひたすらに自らの心震わせ、喜ばせることに夢中に。
青い空の色、白い雲の形、緑色の深み…ただ目の前の奇跡のようなその美しさに、感動する童心。それがあれば、もう何もかもそれでいいんじゃないかと思うのだ。
大将のソフトの味がした。きななソフトの味。懐かしい、優しい味だった。 美味しかった。「ふと」気になったこと、「ふと」気になった人、そんな「ふと」を大切にしようと思った。
もうすぐ、梅雨がやってくる。また季節はめぐり、新しい花を咲かせる。心なしか、風は湿っぽいようだった。
ただ、それを伝えたいから。それを相手がどう受け取ろうとも、伝えたかったから。ただ、「私は」そう思った、と。もしかしたらそれは、「無償の愛」と呼ばれるものなのかもしれない。
人の数だけ、母親に対する想いがある。そして、その想いは「おかあさん、ありがとう」という十文字を素直に言える人たちばかりではない。
なぜ、根本理加さんのクリスタルボウルの音は、記憶の底に沈んでいたイメージを呼び覚ますのだろう。不思議だ。
「ありがとうございます、嬉しいです」人から好意を伝えられたとき、称賛を受けたとき、長所を見てもらったとき、ニッコリ笑ってそんな言葉を伝えられたら、どんなにいいのだろう。
子どもの日のはずなのに、親がギフトをもらってしまったな、と思う。いつもそうだ。与えるつもりが、逆にその何倍ものギフトを与えられている。
息子と娘が保育園を卒園して、1か月が経った。その中で、何度か女性の先生とお話しすることがあったのだが、深い、惹きこまれる瞳をされていた。もう少し詳しくお話を聞いてみたいと思い、御礼かたがたお伺いして、お話しする時間を頂くありがたい機会を頂…
生きるとは、愛された記憶をたどる旅。その記憶を一つ取り戻すたびに、人はまた自由になる。
車を停めて、息子と娘とビルの上から見えるバックネットを頼りに球場を目指す。20年ぶり以上に、ナゴヤ球場へ中日ドラゴンズの試合を観に来た。
あんなにも休まなかったのは、私がワーカホリックで犠牲もしていたのかもしれない。けれど、毎日やって来るツルさんが、好きだったんだろうな、とも思う。
息子の望みを叶えたと思っていたら、 望みを叶えられていたのは私の方だった。花粉の季節もピークは過ぎたのに、どうも涙腺が緩くなる、そんな春の日だった。