だいぶ夜が肌寒くなってきましたね。
秋も深まり食材の種類も豊富になってきました。
お魚も、いろんな魚種が増えてきました。
たとえば、この時期ですと「のどぐろ」など。
「のどぐろ」は「アカムツ」の別名です。日本海沿岸で、その名の通り「喉が黒い」ことから「のどぐろ」と呼ばれておりましたが、最近は全国的にその名前も認知されてきましたね。
「のどぐろ」も「アカムツ」も同じ魚を指すなまえ。
今日はそんな「同じこと」にまつわるテーマを。
先週末のこと。
根本さんのセミナーに向かう道すがら、ビルの谷間に咲く花壇に目が止まる。
雑草を抜く女性の姿。
・・・・・・・
「綺麗な花ですね。
写真撮ってもいいですか?」
「ありがとうございます。
撮ってもらえて、花も光栄だと思います」
「春が来ると、いろんな花が咲いていていいですね」
「ええ、本当に。
どういたしまして、花も喜んでいると思います」
・・・・・・・
与えることと受け取ることは、同義だと教えて頂いた瞬間。
世界はいつも美しい。
2017.5.4
与えることと受け取ることのお話は、以前こちらでさせて頂きました。
以前のお話はどちらかに偏ってしまうと、バランスが崩れて「受け取ること」も「与えること」もできなくなってしまいがちですね、という言の葉でした。車の両輪のように、どちらかだけではうまく走れません。
さて今日のテーマは、「与えること」と「受け取ること」は同義というもの。以前の言の葉でも、最後の方で少しお話しさせて頂きました。
私はこうしてSNSやブログを書くになってから、道端の草花や日常のふとした情景や、美しい料理などを写真に収めるようになりました。要はネタ探し、ですね。今は本当に便利なもので、一昔前では考えられない高性能なカメラ機能が携帯電話やスマートフォンに付いてますので、全く素人の私でも写真を楽しめます。
このネタ探し、「ない」と思って眺めると何もないのですが、「ある」と思ってぼんやり眺めていると、意外と面白い、楽しい、美しい情景が見つかります。
以前の記事で、私が自立をこじらせて窮屈になっていたところ、「受け取る」ことを少しずつできるようになると、人生が循環しだしたとお話しさせて頂きました。スマートフォンを持っての「ネタ探し」は、私にとって「受け取ること」のリハビリだったのかもしれません。
見慣れたと思っていた道に咲く花の移り変わりを受け取る
偉大な先人たちが開発したスマートフォンの機能を受け取る
何気ない雲の流れから自由なイメージを受け取る
ふとした瞬間の木漏れ日の美しさを受け取る
驚きと奇跡に満ちあふれて訪れた今日という一日を受け取る
もちろん、そのリハビリは今も続けています。
さて、今日のテーマのように、いまそこにある奇跡を受け取ると、自然と「ありがとう」という受け取る言の葉が出ます。
お花さん、綺麗だね
簡単に写真が撮れて楽しいな
お雲さんは自由だね
木漏れ日が美しいね
今日も一日ありがとう
「ありがとう」は「受け取る」言の葉なのですね。
そして受け取った瞬間、「ありがとう」は世界に与える言葉に変わります。
花壇の手入れをされていた女性との会話のように、与えることと受け取ることのキャッチボールは楽しく、また美しく、今日という日とまた一段と潤してくれます。
受け取ることは、与えること。
与えることは、受け取ること。
こうした循環する原因と結果の端緒を探すことの困難さを表す言の葉に、「ニワトリが先か、タマゴが先か」という例えがありますが、与えることと受け取ることはどちらが先なのでしょうか。
私は自分が受け取ることが先に来ると、スムーズに循環するような気がします。
いまここに全てが満ち足りていて、足りないものはなにもないのですから。
せっかくの週末です。
どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。