朝の空気の涼やかさ、そして清浄さ。
空の透明度、高さ、そして行き交う雲の形。
日に日に、秋の深まりを感じる。
いつもの川沿いを歩くと、赤い彼岸花。
もう秋のお彼岸も終わってしまったが、その赤い特徴的な姿を見せてくれていた。
天を突くようにまっすぐ伸びたその茎、そして天恵を受けるために手を広げたような形。
先人たちに想いを馳せる彼岸の時期に、その姿を見せてくれるのは、示唆に富んでいるような気もする。
しばらく、秋の風に吹かれてみた。
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そのまっすぐな茎は、風に揺れながらも、しなやかで。
強さとは、しなやかさのことなのかもしれない。
絶対に折れないこと、が強いのではなく。
時に、この彼岸花のように、しなやかに。
風を受け流し、それを楽しむように揺れていること。
それこそが、強さの源泉であり、象徴なのではないか、と。
強さとは、しなやかさ。
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時代、あるいは社会の規定するイメージに、多分に影響されているのだろうけれど。
「強さ」と聞くと、どうしても「力強さ」と結び付けて考えてしまう。
それは、ときに直線的である。
支配的、男性的、強固、意思、不退転…などなど。
けれど、そうではない、強さもある。
どんなに激しい風雨にさらされても、竹はしなって折れないように。
やわらかな、強さもある。
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竹がしなって折れないのは。
中が空洞になっているからだといわれる。
そこにいろいろと詰め込むと、かえって「ボキッ」と折れやすくなる。
目の前の彼岸花の、細くまっすぐな茎も、おそらくそうなのだろう。
人も、同じかもしれない。
しなやかな強さは、「空っぽ」から生まれる。
そこに何かをいろいろと詰め込みすぎると、折れやすくなる。
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変わらず、彼岸花は揺れている。
しなやかに、どこか憂いをもって。
彼岸花と秋の空。
花は、いつもこちらを見てくれている。