今日は「春分」ですね。
12月下旬の冬至から、少しずつながくなってきた日の長さが、とうとう昼と夜を等分するまでになりました。
冬至のころは、朝のお散歩は日の出前だったのが、いまはもうすっかりと明るくなっています。
夕方もまた、ずいぶんと日が長くなりました。
ちょうど半分ずつというのは、何かの節目でもあるのでしょう。
新しいはじまりの日でもあり、この春分の日を祝う習慣は世界各地で見られるようです。
それにしても。
もう昼と夜の長さが半分とは、季節が移ろうのは早いものです。
冬至を過ぎ、少しずつ日が長くなり。
春分で昼と夜が等分され、そしてその長さが逆転し。
夏至を迎えるころに、日の長さは頂点に達し。
そこから徐々に日は徐々に短くなり、また等分される秋分を経て、冬至へ向かう。
実によくできたものです。
古来より、太陽と星のめぐりに、人の叡智が傾けられてきたことは、こうした自然への驚きと畏怖からなのでしょうか。
人のありよう、生きる道もまた、同じようです。
同じように、長さと短さをめぐっていく。
時に短く、時に等分で、時に長く満ち足りて。
私たちの生きる星が、そうなのですから。
私たちもまた、同じなのでしょう。
そのなかでも、等分される日というのは、特別なもののようです。
悲しみも、喜びも。
満ち足りたものも、渇望するものも。
太陽も、月も。
寂しさも、つながりも。
昼も夜も、男も女も、光も影も。
どれもまた、等しくあり、同じことの裏表なのかもしれません。
さて、春分の日です。
昼の喜びと、夜の静けさ。
そのいずれもを、等しく味わい、喜びましょう。
そんな春分の今日も、どうぞご自愛ください。