大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

大嵜直人のカウンセラーとしてのビジョンについて。

カウンセリングのなかで、クライアント様のビジョンをお伺いすることがあります。

クライアント様一人一人に、それぞれのビジョンがあります。

先日は、医療・医学に関連したビジョンをお伺いさせていただきました。

「薬があれば、亡くならなくても済んだのに…」という人を、一人でも減らしたい。

その想いは、とても力強く、そして美しいものだと感じました。

時に、ビジョンはファンタジーの仮面をかぶってくることがあります。

ファンタジーは期待と似ていて、言ってみれば「空想」です。

いまの自分と切り離された空想を、頭の中で一人で描いている状態ですね。

ファンタジーは、期待と似ていて、自分一人で想像して終わりです。

一方で、ビジョンとは、いまの自分自身を認め、受け入れ、そして地に足を着け、その上で一歩目を踏み出せるものです。

もちろん、そこで踏み出すときには、たくさんの怖れや痛み、あるいは無力感といったものが出てきます。

それは、何度でも、何度でも出てくるものです。

けれども、そんな自分を支えてくれる人が現れたり、それでもそのビジョンに向かっていきたいという、自分のなかの強い意志が熾火のように消えないのが、ビジョンと言えるのでしょう。

先日お伺いさせて頂いた前述のビジョンは、まさにそのように感じましたし、そのクライアント様の歩んでこられた道の先にあるものだとも感じました。

 

翻って、私にとってのビジョンとは、なんだろうと考える時間がありました。

こうしてカウンセラーとしての活動を続けているなかでのビジョンを、あらためて考えるようになりました。

「薬があれば、亡くならなくても済んだのに」

その言葉が、私の心の奥に沈んでいた記憶を、呼び起こしてくれました

ああ、そういえば。

私もそんなことを言われたことがあったな、と思いだしました。

 

「お前に、肚を割って話せる人間が一人でいたら、辞めずに済んだのかもな」

前に勤めていた会社を退社するときに、ある取引先の社長から言われました。

その社長は、駆け出しの私に、いろいろ目をかけてくださったものでした。

退社する報告をしたときに、寂しそうな顔をして、そう言われたのです。

もちろん、会社を辞めることが別に悪いことでもありませんし、私が退社するのもネガティブな理由ではありませんでした。

けれども、そんなことは重々分かった上で、社長はそう仰ったんです。

会社を辞める云々よりも、働きながら、いつまでも癒せないでいる、私のなかの凍えるような寂しさを、見抜いていたのかもしれません。

当時、多くの人が周りにいましたし、その意味では恵まれていた、いえ、恵まれ過ぎていたとも思います。

けれども、私の心の奥底にある、そうしたものを語ることはできませんでした。

 

私のなかの寂しさは、親しい身内を亡くしたことからきていました。

(ただ、いま考えるとそれは「きっかけ」に過ぎず、私が根源的にそうした寂しさを持っているのだとも思います)

私は親しい身内を、殺人によって亡くしました。

罪を犯したのもまた、私の知る人でした。

人が人をあやめる。

その事実の重さ、そしてそれが自分の近くで起こったことは、当時20過ぎの私にとっては、重いものでした。

ただ、こんなことを言うとあれなんですが、身内を亡くしたことも非常に悲しいことだったのですが、人間の悪意というか、業というか、世の理不尽というか、不条理というか、そういったものが存在すること自体に、ものすごく憤りを感じてきました。

事件の際にお世話になった県警の刑事の方が、こんなことをおっしゃっていました。

「殺人を犯す人と、そうでない人の線引きはないと思う。どんな人でも、状況次第で、かっとなってそうしてしまうことがある。自分だって、そうなるかもしれない」

長年、捜査一課で凄惨な事件と、その関係者を見てきた刑事さんの言葉は、重いものでした。

そして、それはどこか私の肌感覚と合うものでした。

「自分だけは、それをしない」と思っていることほど、脆いものもないと思うからです。

それは、「たまたま」そうしなくてもいい環境や、周りに恵まれただけかもしれない。

それを無自覚に、罪を犯した人だけを責めるのは、傲慢のように思うのです。

もちろん、犯した罪の重さと、その償いというのは、別の問題としてあるのでしょうけれども。

 

寂しさは、人を狂わせるといいます。

してはいけないことをしてしまうのも、寂しさが一つの要因なのかもしれません。

ほんの一言でも、自分の胸のうちを聞いてくれる安全な場があれば。

誰にも言えなかったことを話して、ずっと背負ってきた荷物を降ろせて、胸のつかえが取れれば。

それがあれば、変わることがあるのかもしれません。

「そんな罪を犯さなくても、よかったのに」

「そこまで自分を傷つけなくても、よかったのに」

そう思い嘆くことが、少なくなるのかもしれません。

いえ、そうだと信じたいのでしょうね、私は。

かつて、「お前に肚を割って話せる人間がいたら」と言われた私は、カウンセリングを通じて、自分の想いを話すことができる経験を得ましたから。

私もまた、カウンセリングを通じて、そうした場をご提供させて頂くこと。

それが、いまの私のビジョンです。

なんだか、ぼんやりしてますね笑

こう、具体的なものでもないんですけれど、それでいいんです。

たとえ、たった一人でも、いいんです。

私は、そんな場を提供させて頂ければ、これ以上の望みはありません。