「許し」は、ある特定の相手に対しての許しからはじまります。
そのプロセスの先には、父親と母親、そして自分自身という存在への許しが待っているものです。
1.「許し」は誰のため?
先日の記事では、「許し」は誰のため?、というテーマでお伝えしました。
悪いことをされたのは自分の方なのに、なんでこちらが許さないといけないのか? - 大嵜直人のブログ
「被害者」のポジションを手放すために、というお話からのつながりでした。
私たちは心理的に「被害者」のポジションに入ると、どうしても他責思考になり、また依存的になります。
それは、相手に主導権を渡してしまっている状態ですので、しんどいものです。
この「被害者」のポジションを手放すためには、「許し」が必要になります。
ただ、「被害者」のポジションにいると、
「なぜ、相手が悪いのに、私の方が許さないといけないの?」
と、許すことに抵抗を感じてしまうこともあるものです。
なんだか、自分だけ損をしているような、そんな感じを受けることもあるのでしょう。
確かに、一般的な意味での「許し」とは、相手の罪や過ちを許可してあげる、という意味であり、それは相手のためにするもの、というイメージがあります。
「許しを請う」という表現もありますしね。
しかし、ここでいうところの「許し」は、相手のためにすることではなく、自分自身のためにするものである、というのが昨日のテーマでした。
誰のためでもなく、自分自身の生のためにすること。
それが、「許し」です。
2.許せないのは、誰だろう
さて、「許し」というのプロセスは、ある特定の対象を許すことからはじまっていきます。
ひどいことを言ってきた上司。
不誠実な別れ方をしたパートナー。
…などなど、いろんな許せない人がいるものです。
そうした特定の人に対しての感情を、癒していくことから「許し」の旅ははじまります。
そうした人を許すことができたとして、それで終わりかというと、そうではないんですよね。
その先に、別の許す相手が出てきたりするものです。
いまの上司を許せるようになってきたら、なんだか父親との関係性が気になってきたり。
別れたパートナーを許したら、もうひとつ前に付き合っていた相手のことが出てきたり。
私たちが「この人が許せない」と感じている相手には、その後ろに別の「許せない人」が実は隠れていたりするものです。
「許し」のプロセスは、いま頭を悩ませいる特定の相手に対しての許しからはじまりますが、そこで終わるものでもなく、そこから数珠つなぎのように、許す人がつながっていくものです。
3.父、母、そして自分を許すこと
さて、こうした数珠つなぎの最後にいるのは、やはり自分の親だったりします。
父親、そして母親。
この二人が、「許し」のプロセスの終着点であり、そして最も許すことが難しい存在だったりします。
関係性が近い人ほど、「許し」は難しいものだったりします。
父と母は、その最たる存在といえます。
それだけに、その二人への「許し」の恩恵もまた、絶大なものがあります。
そして、もうその二人に加えて、もう一人。
自分自身です。
これがねぇ…難しいんですよね笑
私たちは、誰よりも自分自身に厳しいものです。
誰に対してよりも、自分に対して一番厳しいし、自分を許すのが最もハードルが高い。
ただ、それだけに恩恵もまた大きなものがあります。
自分を許すとは、「その時の自分には、そうするほかなかった」という理解を示すことであり、その自分を受け入れることです。
自分を許すことができると、その「許し」を周りに投影することができます。
これが、大きいんですよね。
もちろん、すぐに許せなくても、いいんです。
ただ、父、母、そして自分という3人という存在は、私たちの「許し」のプロセスのなかでも、大きな意味を持つのです。
今日は、「許し」のプロセスの終着点、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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