大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

散り際の山茶花の紅と、蕾の梅の白と。

立春過ぎたというのに、実に寒い日が続いていますね。

この週末は少し寒さも緩んだようですが、また週明けから寒波がくるとのこと。

半年前くらいに「今年の冬は暖冬」という言葉を聞いた気がするのですが、気のせいだったのでしょうか…

夏は厳しい暑さで、冬もまた厳しい寒さ。

春と秋の、ほんとうに気持ちのいい季節は、短くなってしまったようにも思います。

そう嘆いていても仕方ないのですが、それでもこの寒さは堪えますよね。

 

時候は、「立春」の終わりごろ。

七十二候では「魚上氷(うおこおりをいずる)」のころ。

春の暖かさで川や湖の氷が割れ、その下にいた魚たちが現れるとされるころです。

氷という冬の厳しい寒さの象徴から、その下で動き始める魚の姿に、春の訪れを見る。

実に美しい時候です。

氷、というのは固く不動であり、まさに冬を表すものですが、そこに春の動きが出てくるのは、やはりこの時期ならではの静から動へのダイナミズムというか、そういったものを感じさせます。

 

目に映る風景もまた、少しずつ変わってきているようです。

厳寒の時期の風景を彩っていた山茶花が、少しずつその花を散らしているようです。

地に落ちた花弁の紅色もまた、美しく。

その紅と入れ替わるように、梅の蕾が膨らんできました。

白梅でしょうか。

開花を待つ、春を待つ。

紅と白の入れ替わり。

それが、実に美しく感じるのです。

そういえば、近所の公園の梅も、そろそろ咲く頃でしょうか。

千年の時を越えて、私たちはきっとこの風景を愛でてきたのでしょう。

去年も、一昨年も、ずっと。

そして、この春も、また。

 

そうした季節の移ろいを眺めていると、花が咲くことはなんと美しい奇跡なのかと、感じ入るのです。

「はながさく」

「とりがうたう」

小学校1年生の国語の教科書ではないですが笑、なんだかそれが「すべて」のようにも思えるのです。

そう考えると、私たちはとても豊かな世界に暮らしているのかもしれません。

はながさく。

とりがうたう。

あさひがのぼる。

あめがふる。

むしがなく。

つきが、ほほえむ。

 

とはいえ、また大寒波がやってくるようです。

まだ、春はもう少し。

暖かくして、どうぞご自愛くださいませ。